「政治家の多人数の会議は、なぜ食事が付いていないと出来ないのか?」と、政治家の中にも苦言を呈した人もいました。新型コロナウイルス感染防止が叫ばれている中、もっともだと思った人が多かったと思います。
食事を伴にすることで、お互いを理解し合えることから始まった方法なのでしょうが、時と場合を心得なければ、理解が深まるどころか、不信感を持たれかねません。
大勢で食卓を囲んで、お酒も入ってガヤガヤとお喋りをしながら摂る食事は、実に楽しいものです。ところが、小学校低学年の頃わが家は、土間に台所があり、その頃の居間は板の間で、5人家族が正座して箱膳で食事をしていました。
父が上座で睨みを利かせていて、食事中は声を出して話をする雰囲気ではありませんでした。昭和30年頃から丸い“ちゃぶ台”に変わり、少しは会話ができるようになりました。
先日、やむを得ない事情で外食をすることとなり、お店へ入ると座席の間隔が広げられ、透明の仕切り板があり、感染防止のために会話を控えて欲しいとのことで、小学生の頃を思い出しました。
ただ1人 黙々と食事を済ます実につまらない一時で、これでも政治家は食事の付いた会議をするのだろうかと想像してみました。
家族が不在の食卓で、一人食事をすることを「孤食」と言いますが、家族が揃っているのに、バラバラに食べるのを「個食」ともいいます。いずれも一緒に食べる人がいないことによるコミュニケーションの欠如、社会性・協調性の低下など、精神的な不安定、精神の健康面での影響も考えられ、昔と違い現在の生活では工夫が必要です。
戦中に生まれ育った私たちの世代にとって、郷愁を呼ぶ家庭のイメージはチャブ台での食事でした。 早く元通り、ガヤガヤと楽しむ食事は、今少し我慢しなければ来ないのでしょう。

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