豊橋市東部には愛知県の天然記念物 萎もう湿原毛湿原(いもうしつげん)があり、湿原には自然歩道が整備され、何度か行ったことがあります。
訪れる人が増すにつれ、空き缶などゴミの散乱が目に付くようになり、豊橋 自然歩道推進協議会が中心になって「自分のゴミは自分で持ち帰りましょう」と「ゴミゼロ(530)運動」は全国へ広がり、平成5年(1993年)に政府は5月30日を初日とするゴミ減量化、リサイクル推進週間を制定しました。
ゴミをゼロにすることは、途方もないことのように感じるかもしれませんが、終戦後の荒廃した街の中は、道路の端にゴミが散乱し、排水路からは異臭がするなど、すさんだ気持ちになっていたものです。小学校では一人一人がゴミを拾えば、気持ちも晴れやかになると教えられ、やればできると学んだものです。
ゴミをゴミクズと呼べば、物ではなく人のことを表現する場合があります。「社会のゴミクズ」と自らが思えば、読んで字のごとく社会的に必要とされなく、他人と共存していく上で支障があると勘違いし、悪影響?を及ぼしているとの考え違いから、その言葉があるようです。
自分が大切にされていないと思えば、他の人を大切に思いやることができないのかもしれません。しかし、人はゴミのようにゼロにしようと考えてはなりません。
社会全体で、二度と川崎の殺傷事件のようなことを繰り返さないために、どの様な状況であっても「必要とされない人はいない」というメッセージを発信し続けなければなりません。
ゴミゼロ運動のように、一人一人が「人の命の大切さを自覚する運動」もしたいものです。

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