定期購読している新聞の中には、“首相の1日”や、県内版に“知事の1日“という記事があります。選挙期間中を除けば、番記者と言われる人が、首相や知事の行動について記録し報道しています。
首長ともなれば高い地位や名声、報酬を手にできる半面、格式や過密スケジュールに縛られ自由を奪われていることでしょう。歴史的な転換期に重要な役割を持つ人は大変で、そのストレスは相当だろうと想像し同情します。
「自由な生活がしてみたい」と言った人気グループ「嵐」が、2020年末での活動休止を宣言し、リーダーの大野智さんがメンバーに気持ちを打ち明け、話し合ったといいます。
人気を博したアイドルが「自由」になっても知名度は下がりそうにありませんが、首長と同じように分刻みのスケジュールから解放されるだけでも随分楽になるとは思います。活動を休止した後も、晴ればれとした笑顔を期待したいと思います。
現在の束縛されている状況から見れば、自由度の低い生活でしょうが、そこで与えられた役割をこなすことによって、何か意味のあることをしているという感覚は常に得られているはずです。また、それにより「孤独」を感じるということはないと思うのです。
多くのサラリーマンも現役時代は過密スケジュールに泣かされ、“自由な生活がしたい”と思う状況の時があったはずです。やがて定年を迎え、自由な生活が“あり過ぎる”と感じる人もいるのです。
「自由になる」、つまりこの「束縛」から抜け出るということは、同時に「安定」を手放したということです。人によっては時に孤独感と無力感を生じさせるものとなる場合があります。精神的にも社会的にも「安定」を自らの手で得なければならず、このことは今の(資本主義)社会の中で生き抜くには無関係ではおれません。

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