「 60年前、新生児のときに病院で実母とは違う女性の元に渡され、育つべき家庭で育たなかった男性へ、東京地裁は病院側に賠償責任を認める判決をした 」とニュースが流れました。
「たら・れば」と云った過去の事を取り上げると、人為的なミスという状況とは違っていても、複雑な思いをする人が他にも居るかも知れません。北朝鮮に拉致された人や家族のこと、家庭の事情で実の両親に育てられなかった人、戦争で家族を失った多くの人達も、思うところがあるかもしれません。
「もう一度人生を、やり直すことが出来たならば・・・」と、考えたことがある人は多いのではないでしょうか。例えば、間違った人生だったと思い、修正しても結果は満足いく結果が得られるかどうか解りません。人生のやり直しなど頭の中で行うものなのでしょう。
私の場合、違う人生があったとしたら、戦争が無かった、あるいは豊橋空襲が無かったら、父の後を継ぎ、花田町稲場で和菓子「廣田屋」の職人として育ち、店を経営して子供や孫に後を継がしていたと思うのです。
私の姉たちも異なる人生を歩んでいたに違いありません。比較することは難しいのですが、直ぐ上の姉は現在の生活を見る限り、子供や孫、曾孫まで恵まれて、今も幸せに暮らしています。
人生には色々な分かれ道があると云ってもよいと思います。例えば、出生、進学、就職、結婚、出産、昇進・昇格、定年・再就職、病気、介護など、なかには避けて通れないこともあります。いったん選んだ道を替えられないことや、死ぬまで影響することもあります。
今までの生き方を捨ててリセットすることなど、私にはできません。幸せを求めて再びやり直しの人生を考えるには遅すぎます。
とはいえ、人生は幾つになっても新しく挑戦する気構えは必要だと思っていて、今からの日々も大切に生きようとしています。
愛知県警察本部前の広場にて:11月27日撮影

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