超高齢社会となってきました。要するに老人が増え、若者が減ったということで、若者が高齢者を扶養する力が弱くなったと云う事です。年金支給年齢を引き上げ、支給金額を引き下げねば勘定が合わなくなると云うことでしょう。
若者たちは長生きし続ける老人たちにどの様に接するか、儒教の流れをくむ東洋思想の敬老精神に甘え、個人の自立自助の精神が欠如している今どきの高齢者は、若者に扶養する力を期待し過ぎ、さりとて高齢者を子ども扱いすれば怒られると云った、難しい世の中になったと思います。
高齢者は、健康、金、生き甲斐の三種の神技(かみわざ)が必要とか、寿命が延びて時間を持て余す人が増えたと云う事です。自分が何故生きているか、生きる目的は一体何だろうと考える人が増えたと云う事ではないでしょうか。
つまり、医療が進歩し、平和が続けば長生きの人が増えます。少ないが減らすと云っても何らかの年金が入って来て、食い物、住まい、着る物があるとなれば、生き甲斐、いや、遣り甲斐をどうするかと云うことでしょう。
生きがいや、やり甲斐を何に、何処で見つけるか、究極は居場所作りかもしれません。イヤハヤ贅沢な悩みです。ただ生きているだけでは人間、面白くも何ともありません。
子育て時代は、子供を育てることが生き甲斐、やり甲斐でした。しかし、孫はそうはいきません。せっかく育てた子供の生き甲斐や、やり甲斐を邪魔することになりますし、先ず、責任がありません。
人はやがて死にます。一度死んだ人の経験話を聴いたことが有りませんし、私も経験がありませんので、詳しいことは語れませんが、他の人の死を通じて自分の死を想像しています。そうすると年齢を重ねる毎に死を単純に思う様になりました。元気なうちは酒でも呑んで心豊かに過ごし「ポックリ」逝きたいものです。

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