今月も明日で、最後、最終、どん詰まり、大詰め、土壇場、尻、シンガリ、フィナーレ、フィニッシュ、ラストの日が来ます。物事の一番あとは、初めがあるから必ず来るものです。
人は物を食べて生きています。テレビや新聞も料理に関する番組が多いと思います。動物は食べれば糞を出しますが、糞の話は少ないようです。物事、初めの話は欲が湧き出しますから楽しいですが、最後「糞」の話は面白くないようです。便秘が解消した時の快感以外は・・・・・。
でも、出すから生きていられるのです。赤ちゃんも離乳食が始まると、いっぱしの「糞」を出します。いろんな色に変化し、匂いも人間らしくなります。成長が進むので喜ばなくてはなりません・・・。
人も生まれれば、必ず何時かは死にます。解っているのですが最後の話は面白くなく悲しい事となります。私も死んだことが無いので本当の事は解りませんが、死期を悟った人が感じることの七割は、家族と離れて一人で死ぬことに対する寂しさ、恐れがあるといいます。
最近では、医療の手段を尽くし終えた人に対する、安らかな最期を迎えるための精神面での教え、癒しの施設もあるとか、病気がもたらす苦痛を除去し、最後が迫った人の心を安らかな状態で「死」を迎えさせようとする施設とか・・・。
現代のお医者さんも、意識のあるうちは私の父にした様に「何か食べたいものはないか?」「誰かに会いたいか?」と聞くようです。意識が無くなった様子でも「本人には聞こえているからね」と話されました。
死を前に意識の強い間は思い出話や自慢話が多く、そのうち幸せな人生を送るように家族へ説教が始まり、やがて「ありがとう・ありがとう」の繰り返しになり、意識が薄れてくると、お花畑や、美しい公園の広場が目に浮かび、遠くへ旅する自分の姿が見えるのだそうです。本当のところは経験が無いので分かりませんが・・・・・。

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