2019/1/12

母と姉と3人で・・  

11時半頃の池袋の駅前、母と姉と待ち合わせ

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まさかの初雪に降られました(*^_^*)


歩けばすぐだけど、たくさんは歩けない母の為にタクシーで西口へ

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到着したのはフグ料理の「玄品」

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もうすぐ父が亡くなって12年目の命日なので3人でお食事でも・・・ということになり

83年間で一度もフグを食べたことがないという母の希望でここに決めました◎


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実は私もフグを食べるのは初めて・・・

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このお店一番人気というふぐのから揚げ、ホント〜に美味しかった◎

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ふぐ鍋なんて、一生食べないと思っていました

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お鍋を食べ終わったら、残ったお汁にごはんと卵を入れて

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お雑炊〜♪

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デザートでお口直しして

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心地よくがお腹いっぱい〜◎


母と私と姉の3人だけで、お食事をしたのはもう・・たふん6年ぶりくらいです

6年前、西武ドームで開催した「バラとガーデニングショー」に行った時以来かな

なかなか3人だけで会う事ができなくなってしまったけど、

今日、こうやって3人で会ってお食事までできて、とっても嬉しかったです(*^_^*)


そして、美味しい物を食べられるって事が、ホントに幸せなことだな〜ってつくづく思います


で、これからは月に1回はお食事会をやろうねって事になりました◎


今日、初めてフグを食べたけど、食べたことがない美味しい物ってまだたくさんあるんだろうな





「私、生きてきた83年間で今日はじめてフグを食べました♪」と定員さんに話している母

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母は千代田区神田の産まれで、大きな呉服屋の8人兄妹の二女でした

そこで作られた着物は銀座三越に呉服を納品していたました


今でもこの銀座の三越デパートの

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屋上にある芝生のあるガーデンやレストスペースがありますが

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その一角にこのような小さな神社があるのをご存知でしょうか・・?

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デパートの屋上にある神社は少し異様な雰囲気がありますが

その中に、母の実家の呉服店の名前が刻まれています

三越デパートが出来たばかりの頃、取引があったお店を大切に思い神社に名前を刻んで下っているそうです

もう90年以上も前の事なので、かなり古いですが、もし機会があったら行ってみて下さい

「駒村」と石に掘ってあります


たま〜にそこへ行ってお参りしをします

テレビの取材が来たこともありました


なんて、私が自慢してもしかたないのですがせっかくなので母の生い立ちを書いていきます

あ、だらだら続くと思いますので、読みたい方だけ読んでくださいね

ただ、記録として書いておきたいのです(*^_^*)


母は8歳の時に東京大空襲にあり長野に疎開しました。

疎開するまでの生活は私のような庶民には考えられないような生活だったようです

8人の兄妹一人ずつに乳母が付き、洋服は全て寸法を測って誂えたもの、靴は革靴、

皮のランドセルを背負って学校へ通っていたそうです

神田駅のすぐ近くで、町内の一角が全て自宅兼、呉服を作る店となっているほどの広さで

お手伝いさんが20人、当時で水洗トイレ、家の中に階段が4つもあったほどの豪邸だそうです

時々、親戚の叔父さんが銀座の不二家に連れて行ってくれて、アイスクリームを食べたり、

かなり裕福な暮らしをしていたそうです・・・・が

8歳の時に東京大空襲が始まりました

サイレンがなると、すぐに逃げられるように洋服と靴を履いて防空壕に入っていたそうです

残念ながら空襲で自宅は全て焼けてしまい、病気がちの父親は東大の病院で亡くなり、

それを機に親戚の策略で田園調布や代々木にもあった土地を全て奪われ(当時はそういう事がよくあったそうです)

すっかり生活がいっぺんしてしまったそうです


着るものや、靴などの装飾品はたくさんあったそうですが、当時はそんなものよりも

食べるものがあるほうがずっと価値があり、洋服や宝石類などを持っていてもお腹は空くので

なので、持っている貴重ないろいろなものを農家の方に売り、食べ物と交換していたそうです

いくらお金があったとしても、食べ物がない時代です・・

その時の苦労は、兄弟8人で協力し合い、前向きに頑張ってきたそうです

あの時、空襲で家が焼ける事がなければ、母はずっとお嬢様のままで過ごしていたのかと思うと

これで良かったのか、今は幸せなのか、そんな風に思ってしまう事があります

でも母が父と出会わなければ、私と姉は生まれてこなかったわけで・・・

仕方がない事なんだな〜って思いますが

父と結婚してもなかなか苦労もたえなかった母

それでも、今日のように父の命日を忘れず、いつも父の写真に手を合わせている母をみると

やっぱりここまで元気で来られたのも、父のおかげなのかな・・


今日のお食事代を姉が払おうとしたら

「ダメダメ、私ね、お父さんから預かってきたの。お父さんがそうしなさいって」とか言って

結局、母が払ってくれました

母はいつも明るくて前向きで、気遣いができて(し過ぎなところもありますが)、優しくて

そして日本人にはめずらしいかもしれませんが「愛してるからね」とよく言います

私はそう言われると恥ずかしくて「うんうん」としか言えないのですが、母は平気でそう言って

ハグをしてきたり、頬にキスをしてきたり、そういうスキンシップもよくします

ホントに愛にみちているというか、博愛主義というか・・・

そしてさらにちょっとしたジョークもうまく、可愛らしいところもたくさんあって、

でも、芯はとっても強くて負けん気が強くて


・・・て、なんだかそれじゃ性格めちゃくちゃですね(;´∀`)



でも、私にってはホントにとっても大切な大切な存在ですし

人としてもとっても尊敬しています

こんなすごい人が自分の親だという事実が、とても幸福に感じるくらいです



少し褒めすぎかもしれませんが、なかなかこういう事って言葉にすることがないので・・

今日は文章にしてみました(*^_^*)


いつまでもいつまでも元気でいてほしい〜愛しているよ(*^-^*)


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