日々随想

札幌・清心館黎明舎で誠の旗の下、空手と武術の研鑚をする黎明書屋主人が夜半に日々の雑感を綴る雑言集。嗚呼、人生、生涯一書生哉。

日新たに、日々新たに、復毎日を黎明と為す。

 

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投稿者:maekawa
Thank you for coming over here.
訪問、ありがとう!

今日的な形・型は多義・多機能で、そのイメージの総体とともに存在している。
この構造は一般論として日常のいたるところで知る事が出来る。

たとえば、突然だが筆記具の“ボールペン”だ。

われわれはボールペンから何をイメージするだろうか?
まずは筆記具としての本来機能のボールペン。そうして、それ以外の全てとそれらの混在としてのイメージ。つまりイメージは3種類に分けられる。
ボールペンは工業規格製品の一つの形(カタチ)として設計者が企画し製造者によって生産され流通する。最終的には市場でその代価を支払ったエンドユーザーが手にすることとなる。

しかし、この時点でボールペンの使用は本来機能としてなのか、それ以外なのか、また、この両方においてなのかは断定することが出来ない。強いて言えばそのいずれかの組み合わせだろう。

使用者はその機能のいずれかの組み合わせでボ―ルペンを使用し、その結果と満足感の度合いを得てそれを総合価値する。しかし、繰り返すが、ボールペンの使われ方は必ずしも筆記用具としての本来機能のみでない。当然のことだが、それは使用者がボールペンを本来機能以外に非本来機能でも使用出来るからだ。広義での武術の意味合いもまさにこの構造を含んでいる。

武術の型はその可変的構造を後世に連綿と伝えられた各会派の設計図、DNAだ。設計図を基に何を構築するかは個々の武術家に委ねられることとなる。
投稿者:はらだ(父)
大変興味深いお話ありがとうございます

日本人は、まず理由なんか考えずに、与えられたことをこなす働き者という国民性があるのではないかなぁと思います

ふと理由を考えると、たとえば型のみならず、なぜ空手をやってるのかという根本的な問いかけに出会うととまどいます(苦笑)

当時の沖縄であれば、薩摩藩や異国からの進入を防ぎ家族を守るためであったかもしれませんが、日本は現在、一応、平和です
空手をする意味としては、健康のため、精神を鍛える、強くなりたい、大会に出たい、親からしてみると、しつけたい、などをよく耳にします。
たとえば強くなりたい、しつけなどとすると、型は(直接的には)不要で、組み手ばかりやってる方がいいような感じもします。なのであえて型をやる意味合いを求めないののが普通なのかなと思います
その他としては、誰かに認めてもらいたい(師範、大会などで)社会的な欲求とも思います

私はというと、当初は健康のためでしたが、今の段階では、古来から伝わっている空手の神髄に近づきたい探求心が型を練る原動力になっていると感じてます

何を言いたいのかよくわからなくなりましたが、ご報告遅れましたが、私のブログに記事を私なりにまとめなおして再掲載しちゃいました。

今後もブログ講義、それに直接、お酒を入れつつ空手談義など、是非いつか、よろしくお願いします^^

http://msk-n.air-nifty.com/karate40/
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