先日、墓参を兼ねて田舎へ帰った。
田舎といっても先祖代々の墓があるわけではく、今は母の墓があるだけだ。その町には、私が子どもの頃、父の転勤で越してきたのだが、父が退職後そのまま住まうこととなり、結果、新たしい墓をあつらえたのだ。
雪深い墓苑の奥に今は誰も守るものがいないお大師堂がある。ここは私の子どもの頃の遊び場だった。春は福寿草を、夏は蝉やクワガタ虫を採り、秋はイヌの散歩を楽しんだ。
しかし、そんな時、私はいつも独りだった。地元の雰囲気にどこか馴染めないものを感じていたのは確かだったが、そこは私だけの空間のような気がしていたからだ。お大師様の庭や本堂には母が生まれ育った実家の近くにある吉野熊野、高野山への秘密の入り口があるような気がしてならなかったのだ。だから、そこへ行くといつも独り、懐かしい雰囲気を味わうことが出来るのだった。
本堂の横手から山中には八十八箇所を模した巡礼修験の狭路があり、百数十体の地蔵尊が立ち並んでいる。一方、前庭の坂道を下ると湧水が溜まる小さな沼があり、夏場はここで水を呑み足を洗った。夕方になると静に水面に揺れる波紋と立ち木のざわめきが、何をも寄せ付けない、また、決して近づいてはならないような、独特の雰囲気を醸し出す。その沼の端に一体の地蔵尊があり、おそらく明治の頃からであろう、永い風雪雨にさらさたその灰色でところどころ苔むした姿は今も変ることがない。私は子どもの頃からこの地蔵尊が好きで、いくら観ても見飽きることがなかった。町中では悪童ぶって悪戯を繰り返していた私だったが、お地蔵様の前ではいつも素直な気持になれたのだ。
そういえば、成人してから、跡継ぎのいなくなったこの古寺を継がぬかと父からいわれたことがある。なんでも、知人から後継者探しを頼まれたらしいのだ・・・それにつけても、この四季折々の彩りを背に、ただ独りひっそりと佇む地蔵尊、そうしてお大師堂は、今も私の心をを強く惹きつけて止まない。


0