日々随想

札幌・清心館黎明舎で誠の旗の下、空手と武術の研鑚をする黎明書屋主人が夜半に日々の雑感を綴る雑言集。嗚呼、人生、生涯一書生哉。

日新たに、日々新たに、復毎日を黎明と為す。

 

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投稿者:maekawa
住吉塾長が落ち着かれましたら士心塾の実地研鑽会を再開しましょう!楽しみにしています!

私も先日、南一条で型の説明をするのに楷書、草書、行書という表現を用いました。

平かな、カタカナ、漢字が各個の基本技で書き方や字体、崩し方が術的な感じですね。文章は型。其の先に、応用としての実戦や掛け試しがある。

私も同感です。自分の体得したものを感覚的に伝えると、相手はかえって混乱するようで。それを見てこちらはイラっとしたりして(笑)。但し、それを解くのも練習でもあり、個々人のセンスだと思います。

我々の通常の道場での指導は、体育・スポーツとしての空手が中心ですが、説明の過程でどうしても一部分、武術的なところに踏み込まざる得なくなる。その時、練習生は混乱しているのではないかなどどいつも考えながら指導しています(苦笑)。ただ、練習生が自分なりに考える機会を作ると云う意味では、それも有りかな、と考えています。

弟子であれば理屈は無用で、引っ叩きながらでも徹底して教え込むところではありますが、練習生はそうは行きませんから(笑)。

話は変わりますが、ピンアンは体育・スポーツ型としても武術修練としても非常に完成度の高い型であるといまさらながら感ずる毎日です。古流型を稽古すると、古流の様々なエッセンスを抜粋したのがピンアンであることが良く判ります。

明治期につくられた、新しい時代の新しい型(身体)言語だったことを改めて認識しました(笑)。武術的には剛柔一体で武器術も使え、武器にも対応することが出来る。

ナイハンチが漢詩や書き下し文のイメージなら、ピンアンは和歌のイメージです(笑)。あくまで、私的なイメージですが(笑)。
投稿者:住吉
先生、ご無沙汰しております。
そろそろ士心塾も再開したいですね。
ところで木刀の素振りでの功徳については数稽古をこなして忘れた頃に気が付くのかもしれません。
例の「斬り手」の基礎ともなる鍛錬ですね。

>>基礎・基本を門人に教えることと、自得した術技を弟子に伝えることは全く性質の異なる作業なのだ

ご指摘の点は恥ずかしながら最近気が付きました(笑
楷書としての基礎、基本の部分以外のある意味個人的な術技を伝えることの難しさを痛感します。
恐らく私の説明はみんなにとっては感覚的な例えが多すぎて却って伝わりにくいのかもと反省しきりです...。

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