日々随想

札幌・清心館黎明舎で誠の旗の下、空手と武術の研鑚をする黎明書屋主人が夜半に日々の雑感を綴る雑言集。嗚呼、人生、生涯一書生哉。

日新たに、日々新たに、復毎日を黎明と為す。

 

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投稿者:maekawa
曹洞宗の道元禅師が説いた只管打座と云う言葉があるが、空手の型はまさにこれだと思う。禅師は只座れ、只〃座れ、只座れと教えたらしい。これは一つの極意ではないかと思う。

やはり芸事は最初に教わる一見単純な所作や教訓話が非常に重要な教えである場合が多い。それを随分と後になって自覚するように組み立てられている。

総師も言っておられた、一回の練習に十回や二十回やったんじゃだめだよ、五十から百やんなきゃ(苦笑)。

マリオには型はmoving-zen、動いている禅の所作であると説明したが、東洋思想に明るい彼はすぐに理解したようだ(笑)。

サンチン、転掌、ナイハンチなどの重要な基礎型はまさに禅の雰囲気がある。禅に恍惚を求めるか覚醒を求めるか、また、それ以外か・・・それは修行者のみが識るところではないだろうか。
投稿者:専武方 住吉
「おかげでとても重要なことが判った」
気になります...次回ぜひご教授ください。
先日も館長に型の指導をマンツーで受けましたがいつも新しい発見があります。
自由に型の研究が出来る我々は幸せですね。

そういえば脱税で投獄された某フルコン団体の長が唯一差し入れを望んだのが「型」の教本だったそうです。競技形態に関わらず空手家はやはり型に心の拠り所を求めるのかと考えさせられました、
投稿者:月影 椿
なるほど。勝手に納得す。

プライドと志の高さの違いを身にしみて感じる所存。下手なプライドは捨てたつもりが。

ヤレヤレ…ですね(苦笑)。

独事・言です(笑)。

ほんにヤレヤレ…。(笑)

我が独演城では恵まれていると、城主が仰せられる。
城主は今宵も杯片手に、一服。一句詠わん。
「独往の枉駕の与えたもうは諒とせん」
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