日々随想

札幌・清心館黎明舎で誠の旗の下、空手と武術の研鑚をする黎明書屋主人が夜半に日々の雑感を綴る雑言集。嗚呼、人生、生涯一書生哉。

日新たに、日々新たに、復毎日を黎明と為す。

 

カウンター

  • 本日のアクセス  
  • 昨日のアクセス  
  • 総アクセス数      

記事カテゴリ

カレンダー

2020年
← July →
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

QRコード

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS
投稿者
メール

 
コメント
URL
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:maekawa
そう、月影は彼が光で我が影、またこの逆も。ある条件下での彼我一体を説いている。一体であればすでに勝敗は無く、争いも起こらない道理。ただ、その中に葛藤を孕んでいる。敵人を切れば己も切ることになるからだ。但し、これは矛盾ではない。矛矛か?(笑)。

この次、一手指南しよう。

貴君は良いファィターになる素養に恵まれているかもしれない(笑)。

近世の剣術、特に居合では鏡を見て抜き合いを修練するのが一般的になっている。これを着想した人物は賢い。もちろん、近代以前、鏡は高価なものであった。鏡に映った自分(敵人)は文句一つ言わずに命の遣り取りに付き合ってくれる(笑)。

神事のご神体の多くは鏡、そして太刀の起こりは神事からだと云う説話は非常に象徴的だ。宗教は政治であり、それは武によって実効力を高められた。武力(兵法・兵道)は太古から神事と深く結びついている。剣を以って為す者は剣によって追われる・・・はある意味当然の結果と云わねばなるまい。

館長が、なぜ、いつも、くどいくらいに(笑)“鏡かガラスに自分を映して修練せよ”と云うか、これは型と同じ、繰り返すほどにその意味が自得されると思う。勿論、これは技術的な問題ばかりではない。

古来、宗教は武力への一種のタガで、武は宗教を拠り所にその運用に当っては自らに常に高い道徳性を求めている。そして、武力も宗教にその存在の正当性を求めた。

生産手段の複雑化による経済の発達=社会の複雑化が宗教、政治、武力を分割する結果となった。

なにせ、人間は食って行かねばならないし、どうせ食うならより美味しい物を食いたい。衣も住も。

衣食足って娯楽を求む・・・か(苦笑)。

そして、人より少しでも美味い物を食いたい(笑)。やはり人間は欲が深い(笑)。他の生き物とは異質と云わねばなるまい。

そう云えば、以前ブログに書いたが、数年前、ある小学校の出前事業に講師として招かれたとき“月を切る”を公安として出題した。子供たちは柔軟でユニークだ。なのほど、様々な答えが返って来た。

私が少年の頃、師匠から与えられたものをそのまま出題したのだ(笑)。子供たちには、何年か後に会う機会があったら、答えを聞かせて欲しいとして、締めくくりとしたのだが、彼らは覚えているだろうか?

話が逸れて来た(苦笑)。では、いずれ道場で。


http://sky.ap.teacup.com/reimeishiya/
投稿者:月影 椿
月は地球と引力で結ばれている。時に地震を起こすほどに。潮など。

月は地球の衛星であり、光の根源となる太陽からすれば地球と共に惑星と称される。

引力で結ばれたモノは一体化して、まるでワルツを踊るように宇宙で廻っている。

だから、地球にいるのであれば、月が共にいる事もまた必然。他の天体では、この原理は成り立たない。

と、解釈しました。

剣術に「月影」という技があるとは知りませんでした。奥が深いですね。
投稿者:maekawa
いゃ〜、やっと現れたね(笑)。
うろつくことは大いに結構。だいたい歩くことは心と頭の体力?を増進させる!

もっとも、私は、未だ人生を彷徨している(笑)。

月影君、去年の私の“月影”の頁は読んだかな?貴君の言わんとすること、何となくでは無く、一読して判りましたよ!

これから稽古で様々な型を錬り込んで行くうちに貴君は自分の言葉や意識をその心体で再認識、追体験する、そう、フラツシュバツクやデジャビユーのような瞬間、感覚が幾度も訪れる(無いこともある・・・笑)。

こればかりは言葉で伝承することは難しい。今のところ、個々人が静と動の中で智り得る以外に手立ては無い(笑)。

限定的な言い方だが、宇宙は無の様なものから生じ、無の様なものに帰そうとしている。そして、私たちはその過程にいる。時間と空間は渾然一体だ。

しかし、宇宙も最後には無くなってしまう・・・なぁ〜んて・・・前出の落語話しではないけど、なるほど最後の落ちほど詰ん無いものは無いな(笑)。

先日、TVショーで俳優のトム・ハンクスがインタビュアーの“もし、あなたが天国で神様に会えたら、神様に何と言ってもらいたいか?”という質問にこう答えていた“私は・・・君らが想像していた姿と随分と違うだろう”(笑)。

因みに、居合の月影と云う型は、初手の正座・調息から一気に体を浮かせ抜き付けながら四股になる部分がある。これは、浮いているでも無く、接地しているでもない・・・状態だ。

月影のコアは我は彼で彼は我、彼我不可分と云うもの。子供の頃、夕暮れの川原を歩いていて、お月さんがづっとくっついて来て不思議に思った経験は無いか?

では、なぜ月なのか?他の天体では無いのかって?

・・・それは内緒だ!(笑)

今後の健闘を祈る!では、また。

http://sky.ap.teacup.com/reimeishiya/
投稿者:月影 椿
人間がこれ以上の進化を遂げつつあるというのなら。その進化系は人間工学への心理的委託ではないかと思いました。

私的には進化とは、無に帰する。それが退化でありながら、進化への一歩であり。終りは始まりであり。

科学の進歩と人間の進化は必ずしも同行はせずに。
人の原点、遺伝心理を持ちうるのなら起点に還るという心理状態は、必然的に行動へと移される。

一つ一つの後世に伝えられた伝承は、何かしらの意義を持ち、それは無意識の感覚で馴染み。そしてその意味と歴史を知るという事も、また必然的・自然的な行為。

全ては自らの心の元に、機械が記録をデリートしてしまっても、心と体に伝わるもの…。

何故か可笑しなコメントになりましたが…。なんとなく読んで、なんとなくわかって下さいませ。

ただ、歴史が知りたいが故にうろついています(笑)
teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ