2014/4/26  22:51

居ない事に慣れる  無有ん家の生き物

糸満へ行く直前の4月3日、
満開だった我が家の桜盆栽が散り始めた日、
起きたら、老犬のひなたがハウスで死んでいた。

前日まで、ヨタヨタしながらもちゃんと歩いてトイレもして、
普通のエサを食べてたから、あまりに急でびっくりした。

1月に手の施しようがないと言われてから、
良く持ち直してくれたと思う。
寝てるか、オシッコしてるかみたいな毎日だったけど、
最期まで他の二匹と一緒の生活サイクルだった。

飼い主孝行だった。


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くるみとスバルが庭を駆け回り、いつもと変わらない毎日。
少しずつ、ヒナが居ない事に慣れていくんだろうな。
他の子達の時と違って、喉が詰まるような後悔はないんだけど
思い出すとまだやっぱり泣けてくるんだよね〜。




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タグ: 日向 



2014/4/27  17:44

投稿者:無有

kiraちゃん

>大人になって気づいたのは、生き物に愛情を注げるひとは、そうでない人よりも精神的に余裕がある人に思える。自分以外の誰かにも、愛を与えているんだよね。

そうとも限らんよ〜。
愛情って、愛したからって返って来ると決まったものじゃなくて
だからって待ってるだけで降り注ぐものでもなくて・・・。

でも、動物はわりと素直に返してくれるから、愛しやすいのかも知れない。
私は感情移入し過ぎるから、本当は生き物を飼うのに向いてないのかも知れない。

>愛犬を事故で亡くしたとき、手の甲の皮膚までもが、痛んで悲しかったのを思い出した。
2年後に、新しい子犬を入手するまで、続いた。

辛いよね。
私は100%の喪失感には耐えられそうにない。
スバルとクルミと猫のソラが居るから、変わらない毎日が過ごせてると思う。

今日は老人クラブのゲートボールに参加してきたよ。
お世話しに行ったつもりが、オバァたちに遊んでもらって
お土産貰って帰ってきた。
これもリスクの軽減。
誰かに必要とされて、居ても構わない場所がどこかにあるようにしたいんだと思う。
けっこうヘタレだからさ〜わたし。



2014/4/27  17:01

投稿者:kira

小さい頃、「生き物を飼うと死んだ時が辛いから飼うな」と言っていた亡き父も、自分は巣から落ちた雛や捨てられた子犬を育てていた。
母は全くの無関心だった。
大人になって気づいたのは、生き物に愛情を注げるひとは、そうでない人よりも精神的に余裕がある人に思える。自分以外の誰かにも、愛を与えているんだよね。
愛犬を事故で亡くしたとき、手の甲の皮膚までもが、痛んで悲しかったのを思い出した。
2年後に、新しい子犬を入手するまで、続いた。

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