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2006/12/12

『敬愛なるベートーヴェン』  映画道

『敬愛なるベートーヴェン』
Copying BEETHOVEN

2006年イギリス・ドイツ映画 104分
監督:アニエスカ・ホランド
脚本・製作:スティーヴン・J・リヴェル、クリストファー・ウィルキンソン
出演:エド・ハリス(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)、ダイアン・クルーガー(アンナ・ホルツ)、マシュー・グード(マルティン・バウアー)、ラルフ・ライアック(ウェンツェル・シュレンマー)、ジョー・アンダーソン(カール・ヴァン・ベートーヴェン)、ビル・スチュワート(ルディー)、ニコラス・ジョーンズ(ルドルフ大公)、フィリーダ・ロウ(大叔母マザー・カニシウス)



1824年、ウィーン。作曲家志望のアンナ・ホルツは音楽学校の教授の命令で音楽出版社シュレンマーの元を訪ねる。ベートーヴェンの写譜師(コピスト)を探していたシュレンマーは、最も優秀な生徒を送るように依頼していたが、それが女性だと知り、代わりの者を寄越すように言う。そこへ当のベートーヴェンがやってきてシュレンマーを罵倒し、楽譜を叩きつけて帰っていく。初演を4日後に控えて時間がないため、アンナは早速その楽譜の写譜を始める。彼女が出来上がった楽譜をベートーヴェンのアトリエに持っていくと、彼もやはり女性のコピストが現れたことに激怒する。だが、彼が楽譜の間違いを指摘すると、アンナは「あなたならこうしないはずです」と“変更”ではなく“修正”ですと言い放つ。ベートーヴェンは彼女の才能を認め、皮肉を言いながらも自分の音楽を理解していることを喜び、彼女が神の使いであると思い始める。アンナは親元を離れ、大叔母が修道長をしている修道院に下宿していたが、その夜帰宅すると、橋の設計士を目指している恋人のマルティン・バウアーが窓越しに現れ、コンペに出品して優勝すれば、才能を認めてもらえると夢を語る。翌日から本格的に「第九」の写譜を始めたアンナは、ベートーヴェンの甥カールと出会う。彼は叔父からピアニストになるように指導されてきたが、自分に才能がないことを痛感し、金を盗んでは放蕩しつくしていた。そして迎えた「第九」初演の日、マルティンと座席に座ろうとしていたアンナをシュレンマーが呼び出し、指揮棒を振ることになっているベートーヴェンのためにテンポの合図を送る役目を果たして欲しいと頼む。そして演奏は大成功を納め、場内からは割れんばかりの喝采が沸き起こる。翌日、ベートーヴェンから謝辞入りの楽譜を渡されたアンナは感激するが、自作の楽譜を弾いたベートーヴェンから「おならのようだ」と無神経な言葉を言われて傷つく。ベートーヴェンは修道院に行き、アンナにひざまずいて許しを請い、二人で曲を完成させようと言う。その後、マルティンが出品したコンペが開かれるが、そこにベートーヴェンが現れ、マルティンの作品を「魂がない」と言って大公の目の前で叩き壊す。マルティンに彼の元を離れないなら別れると言われるアンナだったが、結局、ベートーヴェンの次の作品「大フーガ」に取りかかることになる。ところが「大フーガ」は大不評。演奏会でも客が次々に席を立ち、大公からは「これほど耳が悪いとは思わなかった」と言われる。その場で倒れてしまったベートーヴェンは、病床にありながら、アンナに楽譜を書かせる。それは賛美歌だった。


アニエスカ・ホランド監督、久々の日本公開作ということで、この冬一番期待していた作品だったが、見事に応えてくれた。

とにかく何と言っても素晴らしいのは「第九」の演奏シーン。
映画史上に残るというのは決して言い過ぎではなく、もはや完璧。
もうこのシーンを十回二十回と繰り返し観ても一向に飽きないと思う。
ベートーヴェン役のエド・ハリスさん、アンナ役のダイアン・クルーガーさんともに素晴らしい演技で、二人の心が通い合う様がしっかり伝わってくる。エド・ハリスさんの恍惚とした表情が何とも言えない。
演出、カメラワーク、演技、衣裳、舞台、その他諸々のものが楽曲自体が持つ力強さと相まって、自分もその場にいるかのような気にさせられる。思わず、演奏が終わった後、拍手したくなったほど。

もう一つ好きなのが、アンナがベートーヴェンの体を洗ってあげるシーン。ここでのつかず離れずのカメラワークがまた素晴らしい。
謎とされている3人目のコピストを女性にした時点で恋愛の要素が絡まってくるのは当然だが、2人の関係は単なる恋愛を越え、まさに一心同体と呼ぶべきもの。
「第九」のシーンでもその兆しはあったが、"We did it!"と喜ぶベートーヴェンに対し、アンナはマルティンとともにあっさりと帰ってしまう。
原題のcopyingとは、もちろん楽譜を写譜するという意味もあるが、アンナがベートーヴェンを模倣する(=copy)ことも指している。ベートーヴェンはそんなアンナを批判はするが、誰よりもアンナにもう一人の自分になって貰いたがっていたのは彼に他ならない。
「第九」のシーンが盛り上がっただけに終わり方が少々あっけなかったような気がするが、充分に余韻を感じさせてくれる作品となっていた。


★★★★
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