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2010/9/23

『小さな村の小さなダンサー』  映画道

『小さな村の小さなダンサー』
MAO'S LAST DANCER

2009年オーストラリア映画 117分
監督:ブルース・ベレスフォード
脚本:ジャン・サーディ  原作:リー・ツンシン『毛沢東のバレエダンサー』
撮影:ピーター・ジェームズ  編集:マーク・ワーナー
美術:ハーバート・ピンター  衣裳:アンナ・ボーゲージ
音楽:クリストファー・ゴードン
出演:ツァオ・チー(リー・ツンシン)、ブルース・グリーンウッド(ベン・スティーヴンソン)、カイル・マクラクラン(チャールズ・フォスター弁護士)、ジョアン・チェン(リーの母親)、アマンダ・シュル(エリザベス・マッキー)、ワン・シュアンバオ(リーの父親)、グオ・チャンウ(青年時代のリー)、ホアン・ウェンビン(少年時代のリー)、エイデン・ヤング(ディルワース)、マドレーン・イーストー(ローリ)、カミラ・ヴァーゴティス(メアリー・マッケンドリー)、ペン・ハックフォース=ジョーンズ(シンシア・ドッズ)、ジャック・トンプソン(判事ウッドロウ・シールズ)、フェルディナンド・ホアン(チャン領事)、チャン・スー(チェン先生)、ジャオ・ガン(ガオ先生)、スティーヴン・ヒースコート(ボビー・コードナー)、


   


リー・ツンシンは1961年、中国山東省の小さな村に7人兄弟の6番目に生まれた。家は貧しかったが、しっかり者で愛情深い母に育てられた彼は、気丈な少年になっていた。11歳になったある日、毛沢東夫人で、元女優の江青が政治的な文化政策として始めたバレエの英才を探すために北京からの視察団が学校にやってくる。毛主席を熱愛する当時の子供たちは、理由を聞くこともできず、ただ、品定めされるような視線に耐えていた。彼らは、収穫がなかったと諦めて帰ろうとするとき、担任の先生がリーを推薦する。「あの子はどうでしょうか?」。その一言で、彼の北京行きは決定し、村では英雄が生まれたかのように大騒ぎし、喜ぶ。しかし、両親はこのままずっとリーと離れ離れになってしまうのでは、と暗い気持にもなったが、このチャンスを活かして欲しいという想いと、毛主席への忠誠心からリーを送り出す決心をする。こうして、リーは大好きな家族と離れて、初めて都会の北京へと移り、舞踏学校に入ることになった。入学後は厳しいレッスンが続けられるが、愛国心をあおるバレエの訓練に最初はなじめないリーはダンサーとしては落ちこぼれていた。それから数年経ったある日、チェン先生は本物のバレエの美しさを彼に教えようと密かに持っていた古典バレエのテープを貸し与えた。リーは始めてバレエの素晴らしさに感動し、踊りにのめり込むようになる。しかし、チェン先生が江青夫人の方針に反抗した疑いで政府に捕えられてしまう。当時の中国ではそれは二度と会うことは出来ない別れを意味していた。しかし、時を経て、中国で改革開放が実現していこうとする最中、青年となったリーに意外なチャンスが舞い込む。中国を訪ねたアメリカのバレエ団の招きで、バレエ研修に参加することになったのだ。こうしてリーは初めて自由な西洋の国、アメリカの土を踏む。彼はヒューストンのバレエ団の主任ベンの家で暮らすことになった。文化も言葉も違う異国に最初は戸惑いを隠せないリー。共産圏で育ったリーにとって、そのカルチャー・ギャップはあまりにも大きかった。片言の英語を話しながらダンスの修業に励むリーは、やがては頭角を現し、ケガで出演できなくなった人気ダンサー、ボビーの代役を務めることになった。しなやかなダンスを披露したリーはこの舞台『ドン・キホーテ』で拍手喝采を浴び、以後、ダンサーとして認められていく。そして、同じダンサー仲間のエリザベスと深く愛し合うようになり、遂に結婚、亡命を決意する。彼のこの決断は大きな波紋を呼ぶ。中国側の領事館に監禁され、一時は強制送還されそうになるが、弁護士フォスターの協力もあって、アメリカへの亡命が認められる。しかし、これには過酷な条件がついていた。リーは2度と中国に戻れず、大事な家族と会うことも許されないのだ。家族思いのリーは苦悩するが、ダンサーとしての未来を信じ、アメリカでダンサーとして、さらに修業に励む。アメリカで住民権を得た彼は踊りの世界でもさらに認められていくが、やがて妻エリザベスとの結婚生活は暗礁に乗り上げ、彼女はリーを残して家を出てしまう。胸の奥で遠い故郷にいる家族への思いを募らせるリー。そんな彼に奇跡の再会の日が訪れようとしていた……。【公式サイトより】

オーストラリアでベストセラーとなったバレエダンサー、リー・ツンシン(李存信)さんの自伝を基に『ドライビングMissデイジー』のブルース・ベレスフォード監督が映画化。

原題は"Mao's Last Dancer"だが、毛沢東よりも夫人の江青が元女優ということもあってか、こういった芸術活動には熱心だったようで。公演を観て、「踊りはいいが、革命はどこにあるのか」と政治色の強い作品に変えてしまうあたり、笑うに笑えない。
そもそも西側の文化を否定していたのに、どうしてバレエはOKだったんだろう。

まぁそんな政策ではあっても、リー・ツンシンにとってはまさに人生を変える出来事だったわけで、あの日、担任の先生が「あの子はどうでしょう」と言わなければ、今も故郷の山東省で子供や孫に囲まれた暮らしを送っていたかも知れない。
もちろん、その時の運だけではなく、リーの地道な努力も必要。
決して最初から天才少年ダンサーだったわけではなく、筋力もなく、開脚もできず、どちらかと言うと落ちこぼれだった彼は、バレエも好きにはなれない。そんな彼がチェン先生からの指導で才能を開花させていき、かつては「馬鹿」と罵っていたガオ先生もリーを認めて、アメリカ行きを推薦する。
チェン先生は反革命分子として連行されてしまうわけだが、もう少し彼とのエピソードが欲しかった。

リーがアメリカで体験するカルチャーショックの数々も面白いが(マフィンと聞いて「馬糞」と勘違いするとか。ヴァージンが分からなかったり、セックスとシックスを間違えたりするあたりは単なる無知だが。笑)、その中で「大統領が好きではない」というディルワースに対して、リーが誰かに聞かれなかったかと焦るシーンがある。ディルワースはアメリカには自由があると笑うわけだが、その約20年後、「大統領が同じ出身で恥ずかしい」と発言した女性歌手に様々なバッシング浴びせられたのはどういうわけだろう。ヒューストンのバレエ団の理事が当時、副大統領だったパパ・ブッシュだったこともあり、ついつい思い出さずにはいられなかった。

やや物足りなかったのは人種差別の描かれ方。
ベンを筆頭としてリーの周りは結構いい人ばかりで、“チンク”の意味を尋ねられた時も適当にごまかしてしまうが、実際にはもっと辛い目にも遭ったことであろう。
ちなみに、リーが代役でドン・キホーテを演じることになった時、中国人がスペイン人を演じることに異を唱える女性がいて、マーロン・ブランドが日本人を演じたことだってあると反論されるが、これは『八月十五夜の茶屋』のこと。

しかし中国って特に田舎の人は素朴そのものという感じなのに、どうして国家全体になると厄介な存在になるのかねぇ。特に領事館のシーンでは、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件のこともあってそんなことを思ってしまった。

主演のツァオ・チーさんは英国バーミンガム・ロイヤル・バレエのプリンシパルとのことで、バレエシーンは当然、文句なし。
ジョアン・チェンさんはリーが子供の頃はまだよかったが、ワシントンでの公演で息子と再会した時はちょっと若過ぎる感じがした。
フォスター弁護士役のカイル・マクラクランさんは、久し振りすぎてよく似た人かと思ったら、やっぱり当人だったか(笑)。


★★★

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