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2009/2/26

福田恆存『私の國語敎室』  読書道

『私の國語敎室』

著者:福田恆存
出版社:文藝春秋(文春文庫)
出版日:2002年4月5日





シェイクスピアの翻訳でも知られる福田恆存氏の代表作。
昭和33年から1年にわたつて雜誌「聲」に連載された後、第五章を加へて昭和35年に新潮社から単行本として出版され、第12囘讀賣文學賞を受賞。その後、新潮文庫、中公文庫に収められて品切れとなつてゐたが、2002年に文春文庫より復刊。
この文庫自体は何年か前に買つてゐたのだが、水村美苗さんの『日本が亡びるとき』に出てきたのでやうやく讀んでみることに。

本書は以下の6章に分かれてゐる。

第一章 「現代かなづかい」の不合理
第二章 歴史的かなづかひの原理
第三章 歴史的かなづかひ習得法
第四章 國語音韻の變化
第五章 國語音韻の特質
第六章 國語問題の背景

「序」にをいて筆者は國語國字問題に關する一般的知識を得たい読者は第一章、第二章と讀んだら間を飛ばして第六章を讀んで欲しいと書いてゐる。
その三章では特に國語審議会や「現代かなづかい」賛成派に対して筆鋒鋭く糾弾してゐる。「しらふの人間の言葉とは考へられません」、「全く人をなめてをります」、「全く支離滅裂です」といつた言い回しが小気味よい。

ただ少々分かりにくかつたところがあるのも事実。
石川淳さんや呉智英さんなど歴史的かなづかひの文章は読み慣れてゐるので文章自体は難しくはない。では何が分かりづらかつたかといふと、こんなことを書くのはおこがましい以外の何物でもないが、論理が一貫していないやうに感じられるのだ。
たとへば、「現代かなづかい」が表音主義に基づいて作られてゐながら、助詞の「は」、「を」、「へ」など発音通りに表記してゐないものがあるとし、「氷」は「こおり」なのに「扇」は「おうぎ」なのはなぜかと疑問を呈する。
何事にをいても例外があるのは当たり前のやうな気がするのだが、徹底していないところがまづ気に入らないらしい。その一方で、「歴史的かなづかひ習得法」と題された第三章ではいくつか例外があつたとしても、「苦もなく覚えられるでせう」などと簡単に片付けられてしまつてゐる。
「現代かなづかい」に慣れきつた身としては、いづれにしろ完全な表記法などないのだから、どちらでもいいやうな気がしてしまふのだが…。

ただ、第六章の最後に書かれた「もうそろそろ私たちは子供を甘やかす教育觀から足を洗つたはうがいい。言葉と文字において子供を甘やかすことは、言葉そのもの、文字そのものを甘やかし、「イッチャッタッテッテ」式に崩してしまふことになるのです。」といふ言葉はまさにその後の日本語の乱れを見越したまさしく至言である。
福田氏が今のギャル文字やら2ちゃんねる用語を見たら一體どう思つたことだらう。見た途端に卒倒したかもしれない(笑)。
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