芦川いづみさんデビュー65周年記念 DVD10タイトル発売!

2008/8/3

大河ドラマ『篤姫』第三十一回「さらば幾島」  『篤姫』道

原作:宮尾登美子「天璋院篤姫」
脚本:田渕久美子
音楽:吉俣 良
テーマ音楽演奏:NHK交響楽団  テーマ音楽指揮:井上道義
演奏:弦一徹オーケストラ  題字:菊池錦子
時代考証:原口 泉、大石 学  建築考証:平井 聖  衣裳考証:小泉清子  脚本協力:金杉弘子
撮影協力:鹿児島県、鹿児島県鹿児島市、茨城県つくばみらい市
所作指導:西川箕乃助  武術指導:林邦史朗  仏事指導:金嶽宗信  茶道指導:鈴木宗卓
御所ことば指導:堀井令伊知  京ことば指導:井上裕季子  薩摩ことば指導:西田聖志郎
資料提供:德川記念財団、尚古集成館、伊牟田志香人、野本禎司、竹村 誠
語り:奈良岡朋子

出演:宮﨑あおい(天璋院)、瑛太(小松帯刀)、小澤征悦(西郷吉之助)、原田泰造(大久保正助)、松田翔太(徳川家茂)、大林丈史(長野義言)、櫻木健一(脇坂安宅)、八波一起(戸田光則)、三宅弘城(伊地知正治)、平山広行(有村俊斎)、俊藤光利(大山綱良)、左 時枝(高山・回想)、宮地雅子(初瀬・回想)、小林麻子(しの・回想)、水谷百輔(西郷信吾)、真島公平(西郷吉次郎)、武智健二(奈良原喜八郎)、中川真吾(島津忠義)、中山克己(島津豊後)、本田清澄(新納久仰)、植原健介(谷村昌武)、高畑淳子(本寿院)、的場浩司(有馬新七)、中嶋朋子(重野)、岩井友見(歌橋)、藤木 孝(久貝因幡守)、春風亭小朝(近衛忠煕)、高橋長英(月照)、稲葉さゆり、澁谷晶己、細川あゆみ、片山美穂、竹田寿郎、若駒、劇団ひまわり、エンゼルプロ、稲森いずみ(滝山)、山口祐一郎(島津忠教)、星由里子(村岡)、涼風真世(お由羅)、長門裕之(島津斉興)、中村梅雀(井伊直弼)、松坂慶子(幾島)

制作統括:佐野元彦
プロデューサー:屋敷陽太郎  美術:小味山潤  技術:小笠原洋一  音響効果:西ノ宮金之助
撮影:溜 昭浩  照明:中山鎮雄  音声:佐藤 稔  映像技術:守友祥史
記録:水島清子  編集:佐藤秀城  美術進行:高橋秀樹
演出:渡邊良雄




安政5年も残り数日となり、天璋院は打ち掛けをすべて大奥の者たちに形見分けすることにする。部屋中に並べた打ち掛けを見て回る奥女中たち。そのうちの一人が婚儀のときに着た袿(うちき)について尋ねると、幾島は「余人に遣わせるはずがなかろう」と怒鳴る。
そこへ重野がやってきて家茂が来たことを告げる。
御座の間。家茂は井伊が天璋院との面会を何かと邪魔立てすると言い、今朝も天璋院を母と慕うのは一向に構わないが、武家の棟梁となった身であり表の政を第一に考えてもらいたいと言われたと話す。井伊はまた、例の件で詮議を受けるのは天璋院ゆかりの者が多いと言い、家茂を助けて政を行うのは自分であり、大奥でも天璋院でもないと言い放ったという。
井伊は無用の詮議をしているとしか思えないという家茂に賛成する天璋院。
「私には分からないのです。何が正しくて何が間違っているのか」という家茂の言葉を聞いて、自分も同じことを言ったことがあると笑う天璋院。その話を聞き、「私も分かるようになりたい。なりとうございます」と言う家茂。


薩摩時代の回想シーンがありましたが、あんなに子供みたいな喋り方してたんですね。やっぱりこうして見るとちゃんと演じ分けてるんですねぇ。

明けて安政6年正月。
薩摩。大久保は帯刀に忠教のことをどう見ているかと尋ねる。大久保は忠教が西郷と月照を助けようともしなかったことが忘れられないと言うが、帯刀は西郷を大島に匿ったのは忠教の力が働いたからではないかと述べる。大久保はそれは思いもしなかったと言い、これから自分たちは忠教に望みをかけてもよいかと訊く。それに対して帯刀は、忠教が先代・斉彬の遺志を継ぎたいと強く願っていると言う。
鶴丸城。帯刀は大久保からの書状を忠教に渡す。帯刀は大久保のことを「類まれなる器量で若者たちをまとめ、この国の将来をしっかり見据えることのできる男」と評し、いつの日か間違いなく薩摩にとって欠くべからざる人物となるであろうと述べる。
大久保からの書状には、「広くから人材登用すべし」「幕府は改革をすべし」「斉彬様の御遺志を継ぐべし」といったことが書かれていた。
京。各地で井伊の命によって捕らえられ、詮議を受ける者が相次ぎ、その手は浪人から公家にまで伸び始めていた。


何だか中身があるんだかないんだか分からないような書状ですね(笑)。
帯刀が忠教のことをそこまで信頼する理由がよく分かりませんが。

天璋院は重野から、京の近衛家にまで井伊の詮議の手が回り、村岡が京の獄につながれたと報告を受けて当惑する。幾島に何とか救う道はないかと言われた天璋院は、井伊と対面したいと表に伝えるように命じる。
だが、老中・脇坂安宅(やすおり)は井伊が政務多忙のため、面会できないことを伝えに来る。
ならば私が参ると言う天璋院に、短慮はなりませぬと引き止める重野。
天璋院は脇坂に、近衛は父であり、村岡は輿入れの際、母役を務めた恩人だと言い、高齢ゆえ扱いには格別の配慮をするよう井伊に伝えるとように言う。
茶室。それを聞いた井伊は、一橋派の肩を持つ危うさがまだ分かっていないようだとほくそ笑む。
京・近衛家。左大臣・近衛忠煕は官を辞した上で落飾。
天璋院は、村岡が京から江戸へ身柄を移され詮議を受けると聞き、何としてでも救わねばと焦る。
幾島は家茂にお願いしては頂けないかと両手をつき頭を下げるが、滝島は止めた方がいいと言う。天璋院が動けば井伊の思う壺であり、天璋院の私事を家茂が聞き入れたとあっては天下の将軍としての立場もないと言い、どうかこらえて下さいませと頭を下げる滝山。
朝。仏間で家茂が仏壇に向かい手を合わせている。
手を合わせながら、天璋院に目をやる幾島。
廊下に出た家茂は、元気がない様子だと天璋院を気にかけるが、天璋院は急に冷え込んだせいだと取り繕う。天璋院には目もくれず立ち去る本寿院。
家茂は些細なことでも胸に畳んでおかないように言う。


重野が天璋院を止めるのを見て、幾島ももう自分がいなくても大丈夫と思えたんでしょうね。どっちかと言うと、幾島の方がすぐカッとなりますけどね(笑)。

村岡は江戸に送られ、詮議の日まで松本藩主・戸田光則(ひさ)の屋敷にお預けとなる。
新御殿。重野から村岡が毅然としていたと聞き、近衛家の老女としての意地が村岡を支えているのだろうと天璋院。それがいつまでもつか、私に出来ることはないものかと菩薩像を見ていた天璋院は、何かを思いついて幾島を探す。
そこへ侍女を従えて幾島が来る。
侍女が持ってきた広蓋を見る天璋院に、先んじて用意したと言う幾島。
天璋院は駕籠を整えるように言うが、幾島は天璋院が動いては事が大きくなりすぎると言って、艱難をくぐり抜けてきた自分に任せるように言う。
戸田の屋敷。村岡に会いたいと願い出る幾島に、許されると思うのかと戸田。
幾島は天璋院から村岡へ下され物があると言うが、戸田は認められるわけがないと答える。幾島は、村岡は徳川将軍家と縁浅からぬ存在であり、天璋院の思いを踏みにじるのは徳川将軍家を踏みにじるのと同じことと言い、後日いかなる災いが降りかかるか知れたものではないと戸田を追い詰める。
新御殿の廊下に立ち、空を見る天璋院。
戸田の屋敷。幾島は村岡と面会を果たす。
嘆き悲しむ幾島に大したことではないと村岡。
幾島は天璋院から届け物があると言い、広蓋の包みをほどく。そこには純白の袿。
村岡はそれを見て感涙し、指先で目元を押さえる。
幾島は天璋院も自分も村岡が放免になることを心より祈り、信じていると言って手を取り合う。
村岡詮議の日。雷が鳴っている。
評定所。奉行・久貝因幡守(くがいいなばのかみ)の前に控える村岡。
村岡は我が一代の晴れの日だから婚礼の袿を着たと言うが、久貝は乱心したかと聞き、着替えて来るように命じる。村岡はこれは天璋院が婚礼のみぎりに着て、母役を務めた自分にくれた品であり、葵の御紋に同じ物だと語気を強める。
仕方なく詮議を始めた久貝は、月照なる僧侶を通じて近衛家と水戸薩摩の間を取り持ち、密勅下賜を助けた罪は軽くないと問い詰めるが、村岡は老女とは襖の引き手のごとき存在であり、そのようなことは一切知らないと主張する。
村岡は30日の押込めの後、放免される。


まさしく村岡にとっては晴れの日ですね。
だからと言って雷が鳴っていたのが晴れてくる必要はないような…(笑)。

家茂は天璋院になぜ村岡のことを打ち明けてくれなかったのかと尋ね、今後隠し事は無用に願うと言う。そうでなければ自分が辛いとき、悲しいとき、苦しいとき、母上に打ち明けることができなくなってしまうと家茂。
天璋院はよい息子に恵まれたと涙を浮かべる。
その頃、薩摩では。
藩主・忠義の後見を務めていた斉興が無念さを滲ませながら絶命する。
斉興の体を揺らしながら慟哭するお由羅。
忠教が忠義の後見となり、藩の実権を握る。忠教は家臣たちに兄・斉彬の遺志を継ぎ、薩摩を守り日本国を果敢に変革していくと宣言する。
同じ頃、大久保は仲間たちと井伊の所業について話していた。
俊斎から江戸に行った雄助と次左衛門からの文を受け取って読む大久保。有馬は水戸の同士からの文を他の仲間に見せる。
断罪された者は100名にものぼり、このままにしておいていい訳がないと一同。
有馬は忠教は所詮お由羅の子で信用できないためお家は当てにならないと言う。
天下の政を正すには自分たちが打ってでるしかないと口々に「突出じゃ」と息巻く一同。京へ行き、井伊一派を追い出して朝廷を救うのだと有馬。
大久保は西郷が軽々しく突出するなと言っていたと言う。去年の暮れ、大島行きの船に乗って考えを聞いてきたという大久保は、西郷が充分に機が熟すのを待つべきだと言っていたと話し、今がその時とは思えないと言う。
西郷は奄美大島で再起の時を窺っていた。


斉興も意外とすんなりくたばりましたな(笑)。

江戸城 大奥新御殿。
幾島は天璋院に広蓋に納められた袿を見せる。
村岡がこの袿はやはり天璋院自身が持っているべきものと返してきたのだった。
天璋院が、あの時、よく私の考えていることが分かったなと尋ねると、幾島は何年も仕えていれば心の動きは自ずと伝わってくるものと答える。
「ならば今私が考えていることを当ててみよ」と言われた幾島は、自分が考えていることを天璋院が見通していることが分かったと言い、今こそ暇を頂きたいと申し出る。
なぜ今なのかその訳を聞かせてもらえないかと言われた幾島は、今回の件で自分がいつか必ず天璋院の邪魔になるだろうと思い知ったと答える。徳川家の人間として生き、この後もそれを貫くであろう天璋院に比べ、自分は近衛家、島津家との絆を第一にと思う考えから抜けられない。徳川か薩摩か万が一そのような仕儀に立ち入った場合、自分は天璋院の足手まといになる。そのような者が側にいることはできないと理由を述べる幾島。
座り直し、笑みを浮かべた幾島は、天璋院が本当に大きくなったともう一つの理由を述べる。巧まずとも人は天璋院に惹かれ、心を動かされ役に立とうと望む、大奥を統べる上でこれ以上の力はないと言う幾島は、「私からお教えすることはもう何一つ残っておりませぬ。私の務めは終わったのでございます」と述べる。
天璋院は初めて会った頃、幾島が影が形に添うごとく世話をすると言っていたことを思い出す。薩摩の屋敷でも、大揺れに揺れる船の中でも、大奥に入った後でも山なす難題にともにぶつかり、悩み苦しみ、ずっと寄り添ってくれた。「その影が消えるか…」と寂しげに言う天璋院。
ここから下がった後はどこで暮らすつもりかと聞かれた幾島は、村岡のそばで余生を過ごそうかと思っていると答える。
天璋院は座り直し、この袿を受け取ってもらいたいと言う。一生に二つとなき思い出の品だからこそ幾島に持っていてもらいたい、これから先、互いの道は分かれても一緒に歩んできた形見として。
幾島も一つだけ願いたいことがあるとして、この袿を今一度着てもらいたいと言う。
幾島は袿を手に取り、天璋院に羽織らせる。離れて天璋院を眺める幾島。
天璋院は「この髪では似合わぬか」と苦笑するが、幾島は「篤姫様…あの日の篤姫様がおられます」と涙を流す。
ひどい顔だとお互いに言って笑い合う2人。
天璋院の手を取り、両手で包む幾島。泣いて別れを惜しむ2人。


これまた悲しい別れでございますねぇ。
松坂慶子さん、さすがの存在感でありました。


「篤姫紀行」
〜村岡ゆかりの嵯峨〜京都府京都市
近衛家老女村岡像(嵐山公園亀山地区)、大覚寺、直指庵(じきしあん)、伝村岡愛用の煙管(きせる)(直指庵蔵)、村岡の顕彰碑(大沢池)
語り:内藤裕子アナウンサー  演奏:吉俣良×千代正行
0



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ