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2008/2/24

『サラエボの花』  映画道

『サラエボの花』
GRBAVICA

2006年オーストリア・ボスニア=ヘルツェゴヴィナ・ドイツ・クロアチア映画 95分
脚本・監督:ヤスミラ・ジュバニッチ
撮影:クリスティーン・A・メイヤー  音楽:エネス・ジュラタル
出演:ミリャナ・カラノヴィッチ(エスマ)、ルナ・ミヨヴィッチ(サラ)、レオン・ルチェフ(ペルダ)、ケナン・チャティチ(サミル)、ヤスナ・オルネラ・ベリー(エスマの友人サビーナ)、デヤン・アシモヴィッチ(チェンガ)、ボグダン・ディクリッチ(バーのオーナー・シャラン)、エルミン・ブラヴォー(担任ムハレム)、マイケ・ヘーネ(エスマの同僚ヤボルカ)、ヤスナ・ツァリカ(セラピスト・プレマ)




エスマは12歳の娘サラと二人で暮らしている。政府からのわずかな生活補助金と裁縫で得る収入だけでは生活が厳しく、子供がいることを隠してナイトクラブでウエイトレスとして深夜まで働く日々。夜は親友のサビーナにサラの面倒を見てもらっているが、多感な年代のサラは母親が留守がちなさびしさからエスマやサビーナとしばしば衝突するようになる。活発なサラは男子生徒に混じってのサッカーでクラスメイトの少年サミルとケンカになる。仲裁に入った先生に「両親に来てもらう」といわれると「パパはいないわ。シャヒード(殉教者)よ」と胸を張る。サミルもまた紛争で父親を亡くしていて、その共通の喪失感から二人は次第に近づいていく。ナイトクラブでの仕事も彼女にとっては辛いものだった。過去の辛い記憶から男性恐怖症となっているエスマは、混雑した通勤バスの中では男の体が近づいただけで耐えられずバスを降りてしまうし、クラブでは働く女たちがセクシーな衣裳でお客と戯れチップを稼ぐ様子を見ては耐えられず薬に頼る毎日。そんなエスマを気遣うように同僚のペルダが声をかけてきた。車で家まで送ってもらい「どこかで会ったことがある」と言われるが、エスマは一定の距離を縮めようとはしない。しかしペルダも戦争で家族を亡くしていて、その遺体確認の際に会ったのではないかと問われると、次第に心を開くようになる。サラが父親の死について疑問を持ち始めるのは、学校の修学旅行がきっかけだった。シャヒードの遺児は、父親の戦死の証明書があれば旅費が免除される。それを知ったサラは証明書を出すようエスマにせがむ。だが、父親の死体が発見されなかったので証明書の取得が難しい、とエスマ苦しい言い訳を続ける。そして娘のために旅費を全額工面しようと奔走し始める。ある日サミルは立ち入り禁止の廃墟に「いいものを見せる」とサラを誘う。隠しておいた大事な宝物を扱うように、父親の形見の拳銃を見せ、自分の父の死について語るサミル。「父親の最期は?」と聞かれてもサラは何も答えられない。父親はシャヒード、ということ以外何も知らないサラにサミルは驚き、「父親の最期は知っておくべきだ」と言う。どうして母が証明書を渡してくれないのか不信感を募らせるサラに追い討ちをかけるように、クラスメイトたちが彼女の父親が戦死者リストに載っていないとからかい始める。さらに母親が証明書を提出せず、旅費を全額支払ったことを知ると、サミルから預かった拳銃を突きつけて真実を教えて欲しいと本気で迫るのだった。つかみ合いになりながら、エスマは長い間隠し続けてきた秘密をついに口にしてしまう。【公式サイトより抜粋】

2006年ベルリン国際映画祭で金熊賞など3冠を獲得した作品。
サラエヴォ出身のヤスミラ・ジュバニッチ監督はこれがデビュー作となる(余談だが、劇場で流れた予告篇では“若干”32歳の女性監督と書かれていた。公式サイトでご確認あれ。笑)。

舞台となるのはボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエヴォのグルバヴィッツァ地区(原題はこの地名)。
予告篇を見れば大体エスマの持つ秘密というのは見当がつくが(公式サイトのあらすじはネタバレしすぎ。笑)、娘にそれを打ち明けるまでにもそれとなく彼女に何があったのかが分かるようになっている。
例えば、寝ていたところを起こされて娘とじゃれあうシーン。いかにも仲のいい親子という感じだったのが、娘に上に乗られ、両手首をつかまれて押さえつけられた途端、態度が一変する。
また、バスに乗って友人サビーナが勤める靴工場を訪れる際、男性の胸毛が目の前に迫ってきて思わずバスを降りてしまったり(どこぞの裸祭りのポスターか。笑)、ナイトクラブで男たちに体を触られまくっている女を見て気分が悪くなって薬を飲んだり、そこかしこに男性に対するトラウマが感じられる。
一方の娘サラは、部屋にキーラ・ナイトリーのポスターが貼ってあったり、ミッキーマウスのトレーナーを着ていたり、西側の文化で育った世代。
サッカーでも男に対して真っ向から勝負を挑むなど勝気な性格で、母親とは対照的。

そして秘密を打ち明けるシーン。
エスマ役のミリャナ・カラノヴィッチさん、サラ役のルナ・ミヨヴィッチさんのぶつかり合いが凄まじく、見るものの心を揺さぶらずにはいられない。
母親としての思い、娘としての思い。
エスマにしても隠したくて隠してきたわけではない。
セラピーでは「話さないと傷は癒えない」と言われながらも固く口を閉ざしてきた。ちょっとやそっとのことで言えるはずがない。
そんな彼女が娘に拳銃を向けられ、父親が誰なのかと迫られたとき、あるいは「お前は私生児なんだ!」と娘を罵ったとき、いかなる胸中であったか察するにあまりある。

その後、女性たちのセラピーに出席したエスマが映し出されるのだが、そこにいたるまでのシークエンスが実に素晴らしい。
民族音楽のような女性の歌声が響く中、カメラはゆっくりとセラピーに参加しているどこか虚ろな女性たちの表情を捉えていき、その先にひとり涙を流すエスマがいる。
ここで観客ははっと気づく。
これはエスマだけの物語ではない、と。
思い起こせば冒頭でも同じように身を寄せ合った女性たちが映し出されていた。
本篇の中では語られないが、参加者一人ひとりにエスマと同じような過去があり、物語がある。
エスマはたまたま主人公として選ばれたに過ぎない。
台詞もなくそのことを描き切った監督の手腕に唸らされる。

エスマが過去について語り始めるのと平行して、髪の毛にバリカンを入れるサラが映し出される。
エスマが望まない出産をしながらも、一度だけと乳を与えたときに「こんなに美しいものがこの世にあったのか」と思ったという話をしているときに、サラは女性の象徴である髪の毛を刈り落として頭を丸める。
力強くも新しい女性像がそこにはある。

それにしてもボスニア・ヘルツェゴヴィナにも修学旅行があるとは知らなかった。
一体、どこに行くんだろう(笑)。


★★★★
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