▽時間との闘い
無事登頂を終え、なんともいえない充実感に包まれながら午後4時くらいに

下山を始めた。ここからは時間との闘いだ。最初の予定では、午後7時前には下山としていたが、今から下りていたら予定よりはるかに遅れることは分かっている。このためKさんと相談して、下山予定時間を午後9時過ぎに設定しなおした。またKさんには早めに下りてもらい、駐車場で先に仮眠を取っててもらい、帰りには先に運転してもらってその間僕が休息し、→続きを読む
後は適当に交代しながら運転することにした。
▽寝袋だけで寝る女性
最初の頂上から稜線まで約30分かけて下りた所で、女性ハイカーに出会った。来る時に追い越したのを覚えている。なんでも寝袋だけ持って前夜は岩陰で1泊して登ってきたとのこと。今から登頂しようか迷っていると言っていた。
登頂するには時間があるが、帰りはどうすんだろう。また岩陰で1人キャンプするのかな。パーミットがあるのかどうかも怪しいが、世の中にはこんな人もいるんだなーと思いながら、ちょっとだけ会話して「Good luck」とお互い言い置いて分かれた。
▽下りは登り?
稜線を登ってきたときに下り坂が多いこと分かってはいた。つまりこれから再び稜線を越える数時間の間は、逆に登りが多くなるのだ。この稜線の部分が下山する時一番つらくなるなど思っていたのだが、先に行ってもらったKさんとの距離もなかなか広がらず、Kさんも難儀しているのが分かった。
それでも稜線部分は約1時間半で下り終えることができた。ここからは急な勾配のクレスト・トレイルの97カ所のスイッチバックを下り、トレイルキャンプ場、アウトポストキャンプ場を経て戻れば、約4時間で戻れると読んだ。
▽持つか、モチベーション
帰りは心肺機能や疲れは心配してなかったのだが、とにかく距離が長いので精神的な疲れが気になってきた。往復22マイル(約35キロ)のうち、まだ15キロ以上距離が残っている。駐車場へ着くまで、果たして歩き通すモチベーションを保てるかの方が疑問だ。わずか4時間で残りを歩き切らなければならないのだから、正直言ってうんざりしてきた。
▽マーモットに威嚇され
クレスト・トレイルを下りた所で、あれ、こんな所通ったっけ、と思うような川沿いの道に出た。雪解けの流れが谷の雪渓の下から「シャーっ」という音とともに勢いよく流れ出しており、その音が谷間に響いている。「まあ、きっと通ったんだろう」と自問自答しながら歩を進めると、急に岩の間から「キッ、キッ」という

とてつもない大きな鳴き声が聞こえてきた。耳に突き刺さるような音は、わずか10mばかり離れた岩のてっぺんから聞こえて来ていた。よく見ると、高さ3メートルほどの岩の上に、ゴールデンカラーのマーモットが立ち上がり、威嚇するようにこちらが一歩近づくたびに「キッ、キッ」と甲高い耳障りな声を発する。「わかったよ」とつぶやきながら、足早にその場を立ち去った。
▽あまり覚えてまへん
ここからトレイルキャンプまでは急勾配で岩が多く、つらかった。しかしキャンプ場から次のアウトポスト・キャンプ場までは、はっきりいってよく覚えていない。覚えていることは右足を出した時は左腕を振り、左足と出した時は右腕を振って歩き続けたことだ。それ以外は湿地帯の中に咲いていたペイントブラッシュの鮮やかな朱色と、今にもクマが出そうなヤブがずっと続いていたことくらいしか覚えていない。それくらい、歩くことに没頭していた。
▽元気出して、元気出して、あと少し
午後7時を過ぎると、なんとなく森の奥の方は暗くなってきた。Kさんは僕のはるか数キロ先を歩いているに違いない。疲れもたまって来ていたし、何よりもクマが出てくるのがいやで、なにか音や声を出しながら歩くことにした。しかし歌を歌ってもまだほかのハイカーに出会ったりするのでなんとなくかっこ悪い。そのうち自然と口から「元気出して、元気出して、あと少し」という節が出てきた。なんとなく手と足を振りながらリズム取を取っていた。
周りに聞こえると恥ずかしいし、かといって誰もいないところになると寂しいので、少し声を大きくして言葉と言葉の間に手を打ったりして…。「元気出して、パンパンッ(手を打つ音)、元気出して、パンパンッ(手を打つ音)、あっとすこしッ、パンパンッ(手を打つ音)」という、傍から見たら「とうとうあの人も向こうの世界へ行ってしまったか」と言われそうな様子なのは承知していた。しかし自分を鼓舞するのとクマを追い払うため、人がいなくなるとこれを続けながら歩いた。
▽足を引きずる大男
午後7時にはアウトポスト・キャンプ場へ到達し、下山のメドが見えてきた。8時半を過ぎたあたりから、かなり暗くなってきた。ヘッドランプを点灯して歩き出すと、前に誰かが足を引きずりながらゆっくり歩いているのが見えた。「Hi」とだけ声をかけ、通り過ぎざまにちょっとだけ顔を見ると、慎重180センチ以上あるような、大柄のインド系の男性らしい。それも素人ハイカーのようで、ハイキング用の服ではなく足を引きずっている。
その男性を追い越したころには、あたりはかなり暗くなっていた。追い越した地点から2マイルくらい来たところで、川を渡らなければいけない地点に来た。幅は3、4メートルあり、深さも20センチ以上。川の中の石をうまく飛び越えながら渡ってこないと、速い流れに足を奪われてしまう。
▽待っててあげようか迷う
さっき追い越したインド系男性のことが頭をよぎる。あの歩き方では、足をくじいたか水ぶくれでもできているに違いない。しかし追い越したのは30分以上前で、彼を待っていると1時間以上かかることは間違いない。かといってヘッドランプを持っているとは思えないほどの素人っぽい服装だったので、ここまで彼が到達したころには暗闇で何も見えないに違いない。
川の手前でこの男性を待とうか、かなり迷った。しかしその時、かなり遠方の森の中に車のヘッドライトが通り過ぎるのが見えた。「このまま行こう」と決めた。残酷なようだがもともと自分の仲間ではないし、通りすがりに声をかけただけだ。余計なお世話して実は彼はちゃんとヘッドランプ持ってたなんてことになったら、1時間以上見ず知らずの人間を待つ意味がない。おまけに僕まで道に迷ったりしたら、Kさんに迷惑がかかる。
▽やっぱ山登りは自己責任だよ
そもそも山登りは自己責任において行うべきで、助けが必要なら僕が通り過ぎて声をかけた時点で向こうからアプローチがあってしかるべき。車のヘッドライトが見えるくらいまでの地点に下りて着ているので、その気になったらはってでも川を越えて来れる場所だし、これだけの山を登るのだから準備はして来て当然、やはり究極は自己責任においてすべての行動を取るべきだと思う。非情で優しさがないと批判する人もいるだろうが、余計なお世話をしてこちらまで遭難する危険があることを考えると、そもそも救助隊などではないのだから、見ず知らずの人に対してそこまでは面倒見切れないと自分に言い聞かせた。
なんとなく後味が悪い気分のまま、暗闇の中をさっきの「元気出して…」をくちずさみながら折りつづけた。しかし下りても下りても、駐車場の明かりはなんとなく見えるのだが、駐車場そのものにはなかなか到達しない。いいかげん、なげやりな気分とかつ怒りがこみ上げてきた時点で、前方から人の声が聞こえてきた。さらに約20分下りた所で、ようやくトレイルヘッドに到着した。午後9時過ぎ。朝4時に出てから17時間以上、35キロを歩き通した山行は、これまでで一番長いものだった。
トレイルヘッドを通り過ぎる時、誰かが声をかけてきた。置いてけぼりにした仲間を待っているが、途中で僕が誰かを見なかったかと尋ねてきた。僕は追い越したインド系の大柄な男性のことを話したが、彼らが待っているのは白人男性3人組とのこと。どうやら違うので、僕はその場を通り過ぎて駐車場へ向かった。
▽ん? あれ、Kさん?
トレイルヘッドの目の前にトイレがあるのが分かった。その前を通り過ぎようとしたときに、誰かが僕のヘッドランプの焦点内を通り過ぎた。「ん?」 見覚えのあるグリーンのジャケットだ。Kさん? おっかしーなー、今ごろは先に駐車場へ着いて仮眠とってもらってるはずなのに。ねんのため、僕の2mくらい先にいるグリーンのジャケットの人におどおどと「Kさん?」と声をかけてみた。
するとグリーンのジャケットの身体がぴたっと止まり、ヘッドランプに照らされ振り向いた顔には見慣れた表情があった。「僕、今着きましたよ。Kさんは寝てたの?」「いや、僕もさっき、15分くらい前に降りてきたばかりで、トイレ行って顔洗って出てきたとこですよ、早いですねー、中村さん」と言って、お互い笑いあった。
▽自宅到着は午前7時
駐車場から車を出し、途中の閉店寸前のファストフード店へ飛び込んで、バーガーを食べながら運転。ヨセミテを横断しベイエリアへ戻ってきたのは深夜5時過ぎだった。僕が自宅へ着いたのは、午前7時。登り始めてから24時間以上たっていた。
マウント・ホイットニーはただの高い山かと思っていたが、景色の美しさや野草の多さに驚かされた。また自分の体力と気力がこれほど持つとは思っていなかった。よく言えば何か自身のようなものが培われた。また登ってみたいかと尋ねられると「うーん、まだ分からない」としか答えられない。しかし全米ロウアー48州の最高点を征服したという満足感が、これからの山行の際には余裕となることは間違いない。
▽今度は途中でキャンプして
登り初めには「途中で脱落しそうだから、許してね。登頂はKさんだけに任せるから、僕はシェルパ」なんて気楽に考えていたのがかえってよかったのかもしれない。来年また登るかどうかは分からない。しかしKさんにはだまっていたが、今度登る時には絶対に途中でキャンプして登ろうと固く心に誓った僕ちんでした。
終わり。
※写真1〜2はKさん撮影です。
写真は途中でカメラが動かなくなったため、枚数があまりありません。

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