▽生涯ベスト5の風景
スイッチバックを登りきったものの、目の前にはまだまだ稜線が続く。時間との戦いとなりつつある

状況に愕然としながらも、ホッとすることが二つあった。1つはこれまでの生涯の中で見たうち、ベスト5に入る景色が目の前に広がっていたこと。もう1つは、あの超人Kさんがあえぎながら僕の目の前をふらふらと、うろついて歩いていることだった。
景色に関してはすばらしいの一言に過ぎる。眼前の右方向にまず、→続きを読む
褐色と灰色の剣のように峻険なジョン・ミュアー峰などいくつもの頂が、青い空をスパッと斜めに切り取って視界をさえぎっているが、そのコントラストがすばらしく美しい。文句のつけようがないダイナミックな風景に見とれてしまう。
▽コバルトブルーの湖
景色に見とれつつも歩を進めるが、

目指すホイットニーはまだ見えない。稜線に登りきったところから、セコイア・キングスキャニオンNPに入り込んだ。ホイットニーは厳密にはInyo National Forestという国有林内にあるが、頂へ至る稜線の一部はセコイア・キングスキャニオンNPに属する。その稜線の左側は、同NPの最奥部の道なき道が続く秘境が広がる。ここにはまさに天から投げつけられた無数の巨大が刀が、地面に突き刺さってできたかのような険しい山が連綿と続く。1000メートル以上下にある谷底には、周囲を氷河に覆われコバルトブルーの水をたたえた湖がいくつか見える。
こんな険しくも美しい風景を見たのは、何年ぶりだろう。スコットランドのグラスゴーからインバネスへ至る平原や、ノルウエーのオスロからベルゲンに至る大地など、これまでの人生で見た景色のベスト5に入れていい風景の1つだ。
▽しめしめ、Kさん頭痛に
もう1つホッとしたことといえば、あの超人Kさんが、ふらふらした足取りで僕のほんのちょっと前を歩いていたことだ。レースじゃあないが、2人で山に行くといつもKさんには大差を付けられ、

頂上一番乗りを許してしまう。ところが今日は、あのKさんが僕の目の前、手の届く所にいるにいる。へへへー。しめしめ。これで全米ロウアー48州最高峰のホイットニー一番乗りのチャンスがあるぞ。しかしまてよ、ホイットニー一番乗りは誰かが100年以上前に達成してるから、初めてKさんより早く登頂できるかもしれない、などとうつろな頭で考えていたら、また幻覚が見えてきた。
▽またまた幻覚が
稜線から頂上まではわずか1時間くらいかと思っていたが、歩けども歩けども頂上が近づいてこない。登頂を終えて下山してくる人に出会う。途中から、10歩あるいて1分休むペースになってしまった。止まって休むたび、いろいろな幻覚が見えてくる。時計屋で丸い大きな置時計を探している途中に気がつくと、やっぱり山の中を歩いていることに気づいたり、

何年もあったことがない親戚と楽しく会話していると、実は山道の岩に腰掛けて眠りこけていることに気づいたり。
Kさんに追いついて2人で休んでいるうち、どうも僕は寝てしまったらしい。たった10秒ほどだったらしいが、Kさんが「中村さん、今話していたと思ったら寝てるんだもんな、笑っちゃいますよ」と苦笑していた。
▽Kさんの調子鈍る
さきほどから調子が落ちているKさんは、どうもひどい頭痛に襲われているらしい。歩を進めるたび、頭を振るたびにすごい痛みが頭の中を渦巻くとのこと。へへへー。人の不幸は我が身の幸福。しめしめ、このまま行けばKさんより先に登頂できるぞ。だいたい鉄人Kさんが、少々の頭痛で病院行きなんかになるわけがない。ここは心配する振りだけしてよーっと。しかし心の中には「もっと頭よ、痛くな〜れ〜」という悪魔のささやきが聞こえてきた。けけけっ。
▽頂上には小屋も
稜線をもう3時間近く歩いているのに、なかなか

14,495ft(4418m)の頂上に着かないな、と思っていたらやっとそれらしい頂が見えてきた。よく見ると頂上付近に小屋が見える。1909年に隕石や流れ星の観測をするために設けられた小屋らしい。さあ、あと一息だ。左側にセコイア・キングスキャニオンNPの最奥部、右に頂上をにらみながら、緩やかな稜線を歩き続ける。
と思っていたら、朝僕たちを追い越していった筋肉質の姉ちゃんたちが上から降りてきた。「どうだった?」「見た目ほどつらくないし、最後の登りは思ったよりも早く着いたわよ。あと一息だから頑張ってね」と励まされた。
最後の頂上へ至るトレイルは、マウント・シャスタに比べ緩やかな気がした。10歩あるいて一休みが、5歩あるいて一休みに変わる。足元はがれきのような岩くずや石ばかり。しかし不思議なことに、小屋まであと300mとなったところで急に元気になってきた。Kさんも元気を取り戻してきたようで、歩が進んでいる。僕の前を歩きながらだんだんペースが整ってきたようだ。いかん、マズい。ここでKさんに元気を取り戻されては、登頂一番乗りの栄誉を教授できなくなる。Kさんの頭よ、痛くな〜れ〜。
▽登頂成功
しかし小屋まであと100mとなったところで、そんなことはどうでもよくなってきた。午前2時45分に起床したこと。登り初めでゲロ吐いたこと。何度も止めて下山しようかと思ったこと。途中で見た湿原などに咲いた色とりどりの野草。水を汲んだ清涼な雪解けの流れ。97カ所のスイッチバック…。全米ロウアー48州最高峰の頂へ至るまで、わずか数時間の間に起きたことが次々に思い起こされてきた。それもこれも、実際はKさんがいなかったらできなかったことだ。感謝の仕様がない。
そんなことを考えながらえっちらおっちら登っていたら、2人ほとんど同時に頂についた。小屋の前を通り過ぎ、岩のごろごろ重なり合った一番高い箇所で腰を落ち着けた。
ここかー、全米48州で一番高い所は、よく来たなーと感慨に浸る。2006年7月1日午後3時過ぎ。風はあるが、シャスタの頂上ほど寒くなかった。しかしやっぱり気温が低くジャケットは脱げない。日差しがやけに強かった。頂上を記す金属性プレートがあるところで写真を撮る。

しかし僕のカメラは電池が働かず、あきらめてKさんのカメラで写真を撮ってもらう。下からは何人か登頂者が見えたが、もう誰も残っていない。どうやらシャスタに続き、僕たちがこの日の最後の登頂者らしい。
▽大パノラマ楽しむ
頂上からの景色は最高だった。アメリカ中探しても、僕たちより高い所にいる人間はこの瞬間には誰もいないと思うと、自分で自分をほめたくなった。と思っていたら、小屋の裏手にロッククライミングの準備をしている男性2人がいた。これから下りて行くのか、上ってきたところなのかは分からなかったが、話しかけるのもおっくうなのでやめておいた。
頂上の北側にはシエラの山並みが眼下に見える。

東側のかなた向こうはデスバレーへ続いている。南側にもシエラの山並みが続く。西側には頂上へ至るトレイルが見える。今登ってきた稜線まで一気に下っており、帰りはしばらく、これらの大パノラマを見ながらの行程を楽しめそうだ。
小屋の入り口にあったレジスターノートに名前を書き入れ、午後4時近くに下山をはじめた。パーミットが切れるまであと8時間。暗くなるまであと5時間。果たして僕たちは、時間内に無事下山できるのか。時計と体力との戦いが始まった。
続く。
※写真5〜7はKさん撮影です。

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