その8からの続き。
途中で数分間、まったく動かなくなってしまったCを休ませ、しばらく様子を見た。5分もたっただろうか。Cの調子がよくなってきた。
きっと体が慣れて、呼吸が楽になってきたのだろう。
(←頂上へ着くと、でっぷり太ったマーモットが出迎えてくれた。エサをやる心ないハイカーが多いからだ。このマーモットの寿命も、人間の与える食べ物によりかなり短くなるだろう)
ケーブルの真ん中辺りで止まっていたのだが、その後はゆっくりとだが確実に上へ向かって進んでいる。
ケーブルの5分の4くらいを過ぎると、傾斜がかなり楽になる。登り始めは35度くらい、途中は45から55度くらいだが、 →続きは、スタック、をクリック

(全員登頂を果たしたYAセミナーのメンバー→)
この辺りは40度もないだろう。
あとはケーブルを持たなくても、足で楽に登れる。登り始めてから約35分でケーブル部分を終え、とうとう頂上に着いた。午前10時40分。
Cは息も絶え絶えに一休みして、落ち着いてからほかのみんながいる右側の頂上部分へ向かった。
Suzanneが植物か何かについてみんなに説明していたが、僕ちんとCを見ると歓声を上げて迎えてくれた。
頂上には1時間もいただろうか。ここで面白いことが起きた。
7月にはここで結婚したカップルがいたのだが、今回はプロポーズしたカップルがいた。

(←ヨセミテ・バレーの見える突端で、プロポーズ後に抱き合うカップル)
頂上から少し離れた所に、岩がバレーに向かって突き出した部分があるのだが、その上で若い男性がひざまづいて、女性に何かを語りかけている。お決まりのプロポーズの姿勢だ。
男性が立ち上がり、女性と抱き合うと周りから拍手が起きた。きっとOKをもらったのだろう。
さて、ケーブルから登ってくる人の数が増えだした。みんなで記念撮影後、午前11時半を回ったので下山しだした。
下山するのは早い。ケーブルなんて人がいなければ10分ちょっとで下りれる。ただ、真下へ向かって落ちていくような錯覚に陥ることもあるので、心理的恐怖感に駆られる人がいることも確かだ。
勇気のある人は前向きに下りるが、僕ちんはいつも後ろ向きになって、ケーブルを手の中で滑らせながら落ちるように下りていく。しかしこの日は違った。登ってくる人と下りていく人があまりにも多いので、途中で動きがスタックしているのだ。

(頂上で一休みするメンバー→)
下から聞こえる声から想像すると、どうやら僕たちのメンバーの1人が、途中で止まってしまったらしい。少し高齢のMだという。やっと列が少し動き出したと思ったら、今度は目の前のCがスタックしだした。
恐怖感が募っているのか、Cと前の人との差が20m近く空いている。Cに「ケーブルの一方に登ってくる人がいても、僕たちが下りていけば片側を空けて通してくれるから、遠慮しないでどんどん下りろ」と促して、やっと動きだした。
途中何度も止まったが、下りてみたらなんと40分以上かかっていた。やはり早く登って早く下りるに限る。ケーブルしたには既に70人以上が登はんを待っており、ケーブルにたどり着くだけでも1時間以上かかるだろうと思われた。

(←頂上から見たCloud RestとTenaya Canyon)
ここからは、先に行ける人はSuzanneについてどんどん下山し始めた。僕ちんは例によってCと行動をともにして、途中何度も「あと少しだ。そこまで行ったら休憩しよう」と元気付け、下山を続けた。
不思議だったのは、午後3時近くになってこの日の登頂は絶対無理だ、と思える時間になっても、まだ登ってくる人がいたことだ。そのころは気温も日差しも朝より一段と厳しくなっており、みんな死にそうな顔で登り続けてくる。
今から登ったら、帰りは確実に午後10時になり、暗闇の中で下山を続けることに鳴るだろう。あきらめて途中で引き返すことを祈りながら、登っていく彼らを見つめてしまった。
午後4時前にやっとLYVのキャンプサイトに戻った。あとは夕食をのんびり食べて、軽くミーティングして寝るだけだ。日帰りハイクの場合は、ここからさらに3時間近く下山を続けなければならないので、今回の2泊3日の登はんスケジュールは、かなり体が楽だった。
Suzanneとまた今回のことについて話し合った。前々日からの行動を聞いていて、単純に彼女のポカから起きた騒動だったのだが、本当に何もなくてよかったと心から思った。
彼女も何度も謝っていたのだが、35年間で初めてのミスの上に体が無事だったこともあって、行方不明騒動は、その夜のうちに笑い話になっていた。
明日は下山だ。Cは無事に下山できるかな、と思いながら、午後10時前には眠りについてしまった。
その10へ続く。

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