柱に墨が打たれているのが分かりますね。
これを水墨といいます。
水墨=地面に対して水平な線、重力のベクトルに対して直角な線です。
通常であれば基礎の天端がそのような状態になっていますので、それに習って施工するのですが、極めたい大工さんにしては第三者が出した水(水平の事)を元にした仕事では納得出来ないのです。
そこで、再度の水盛(水平を出す事)を大工さん自身で行い出たものがこの柱の墨です。
結果としては10,000mm(10m)で3mm程度の異差が出てきます。これは3/10,000の勾配で違っているわけではなく、部分的に波打った違いとして出てきています。
この10,000分の3をどう見ますか?
宇宙に飛ばすロケットを作っているのではなく住宅ですから無視しても何の問題も出てきません。
床板が1枚の中で3mm位反る事があるのは無垢板では当然ですし、裁判事例でも3/100までは人間の許容範囲としているのです。
それでは再度行われる水盛は大工の自己満足の世界か?
それに費やされる時間は無駄か?
いえ、私はそうは考えません。
大工さんは家という大きな器を虫眼鏡を覗く様に丁寧に仕事をして下さっているのです。実際に大工さんは研ぎ澄ました鉛筆の線を残して加工するか・落として加工するかの域まで極めてきます。数値でいえば0,1mmの領域になってきます。
ここまでなると経済活動の面の家造りからは完全に逸脱してきます。もはやスピリットの世界、精神世界となってきます。
つまり、お金では買えない部分になってくるのです。
それが、設計屋が図面で指示できる域を超え、家の空気・建物の雰囲気となってくるのです。
当然、その空気を読める方もかなり少ないのですが、家造りだけではなくものづくり全般がお金では買えないスピリットの領域が存在し、それが美の素であり雰囲気の基であるのではないかと思います。

0