いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2011/2/8

ふうさん  ひと

1月29日に急逝なさったふうさんのことを、今日2/8になって知りました。

教会の女性会でご活躍なさっていることはよく知っていましたが、もう30年あまりお会いしていません。
若いころ、千葉の楢葉でお会いして、広島へご一緒したのでした。
ご夫妻と親しくさせていただいていました。

千葉では、ご主人のS先生が東京養育院訪問のドライバーをいつもなさってくださっていました。
ふうさんの従姉にあたる人が私の同僚だったこともあり、よくお話をしました。

教会の女性専用のメーリングリストがあり、10月19日に熊森協会からの「ドングリを送ってください」という要請に応えて、ふうさんはメールをくださって、懐かしく近況報告をしたばかりでした。

ふうさんは優しくて信頼できるお姉さんのような存在でした。

今治教会で証をなさった録画が残っているそうで、けろちゃんに送ってもらいます。
1/30の告別式の日、広島の大和町は雪だったようです。告別式の写真を「天使のはしご」(けろちゃんのブログ)で見せてもらって、涙があふれました。

神様は、もう休んでいいよとおっしゃったのでしょう。
人間的な考えでは、もっと長くいてほしかったという思いがありますが、
神様の時は、突然来ます。


丁度昨日友人から教えてもらった、朝日新聞に桃井和馬という写真家が、42歳の奥さんをくも膜下で突然亡くされた、その『最期の10日間』という本の紹介記事を読んだばかりでした。
その桃井和馬さんも、クリスチャン。ご両親が牧師だそうです。

****20011年2月7日 朝日新聞より****

「死は人知の及ばない領域であり、神が私を支えてくれるかどうかは判断すべきではないと思っています。仮に神が支えてくれるとしても、人間に都合のよい支え方ではないかもしれない。」

ボンヘッファーという神学者は「神の前で、神とともに、神なしで生きる」と述べている。

だから奇跡を祈るのではなく、歯を食いしばりながら「あなたの判断すべてを受け入れさせてください。それを受け入れるだけの力を与えてください」と祈りました。

************************************

ここにもほんまもんのクリスチャンがいました。


「神の前で、神とともに、神なしで生きる」という言葉は、私を戸惑わせる。
あなたは、どこに立っているのか?と問われているような気がするからです。

チリのパタゴニアで見たという木の写真も、胸に迫る。
「風との折り合いをつけて、かっこ悪いけど立ち続けている。ああ、こういう生き方でいいんだ。何でいろんなことにとらわれていたんだ。」と
桃井和馬さんは、自然から教えられ励ましを受けた。

苦しくても、耐えて立ち続ける。


最愛の奥様を亡くされた、S先生の上に、神様からの慰めがありますようにと祈ります。

そういえば、今日訃報を聞いたブッチさんも、5年前に奥様を亡くされたのでした。


クリックすると元のサイズで表示します


northland-art-studioさんからお借りしました。


哀悼の想いをこめて・・・・
2



2011/2/8  22:44

投稿者:モネ

本当に私たちの思いを遥かに超えたところに、神の意志があります。事実を
受け入れる力を与えられたいと願います。
私は神様の前に、あの木のように立っているか。ボンヘッファーの言葉が迫
ります。

2011/2/8  21:52

投稿者:玄柊

人の死は、自分も含めていつ訪れるかを予め知ることは出来ません。その
事実を受け入れられるかどうかは、相手が近い存在であればあるほど、受
け入れられないように思います。しかし、我々の思いを超えたところに、
運命、あるいは神の意志があります。どのような受け止めていけよいのか
、私はボンフェッフアーの言葉に大きく心を動かされました。
急逝されたモネさんのお知り合い、ふうさんに哀悼の意を評したいと思い
ます。

http://northlandcafe.p1.bindsite.jp/

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ