いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2007/10/28

爽やかな風  

遠藤周作の『沈黙』の一部分を再読する機会があった。
「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ」
まだ高校生だったころこの文章を読んで、そんなものか、と思った。しかしどこか腑に落ちない、釈然としないものが心に残っていた。

「自己犠牲」この言葉にも抵抗を感じていた。いやいやする良いことは、偽善ではないかと思った。三浦綾子の『塩狩峠』の長野さんのことを憶う。自殺願望のある少女と一緒にビルから飛び降りながらも、少女を引き寄せ、自分が下になって、「生きよ」と叫んで死んだ少年の愛を憶う。線路に落ちた人を助け、自分は死んでしまった韓国の青年のことを憶う。命の大切さ・・・その大切な命を捨てて人を助ける人に、私たちは心を揺さぶられる。

主イエスは人に踏まれる(踏み絵)ために来られたのではなく、人を生かし、永遠の命に生きるように、より高い聖なる所へ引き上げるために来られたのだ。「あなたがたは、私が語った言葉によってすでにきよくされている」(ヨハネ15章3節)。これは主の約束を信じる者は清くされるということだ、と分かった。

私の心に今朝の晴れた空のような、爽やかな風が吹いた。
疑問に思っていたことが、わかる。心に教えられる。そこにしあわせの青い鳥がいた。
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2007/10/28  20:56

投稿者:モネ

星になったよだかのことと、柳田邦男さんの「犠牲」、サクリファイスの映画、、私も犠牲については、もう少し考えてみたいと思っています。

2007/10/28  17:59

投稿者:玄柊

なるほど、遠藤の「沈黙」への疑問の気持ちよく分かりました。イエスは何故来たのか、私も同じように感じます。
犠牲ということを、私ももう一度考えて見たいと思います。

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