いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2009/1/26

メンデルスゾーンの姉  

昨日偶然BSHで見たテレビ番組で
メンデルスゾーンの姉、ファニー・メンデルスゾーンを知りました。

真夏の夜の夢、無言歌などを作曲した・・・フェリック・スメンデルスゾーンは
とても有名ですが、同じように音楽の才能を持っていたにもかかわらず、
女性というだけで、その才能を世に問うことはできなかた、ファニー。

父親は、「お前にとって音楽は飾りにはなるが、それを弟のように職業にすることはできない」と言って、趣味以上のものとは認めようとしなかったそうです。

弟のフェリックスも、ある意味で競争相手と感じていたこともあり、
その才能を認めてはいても、活動には賛成しなかった。

ところがピアニストでもあったファニーは近年注目されていて、
その作曲数は600曲もあるという。

祖父モーゼス・メンデルスゾーンはユダヤ人の哲学者として有名。
父アブラハム・メンデルスゾーンは銀行家、
1816年にルーテル派のクリスチャンに改宗。

ゲーテはメンデルスゾーンの家族と交流があり
ファニーに詩を捧げたこともあって、彼女はその詩に曲を付け
その楽譜は今も残っている。

たくさんの資料がメンデルスゾーン記念館にはあるようです。

ファニーはヘンゼルという宮廷画家と結婚し、
夫は楽譜を出版するように強く勧めたという。

父も亡くなり、40歳を過ぎて、いよいよ楽譜を出版したが、
その矢先、脳卒中で41歳で亡くなった。

姉の死を知ったフェリックスは、ショックのあまり神経障害を起こした。
その後回復したが、半年後、姉の遺稿を整理していた時、
同じく脳卒中で亡くなった。

姉は弟の良き理解者でもあり、二人の往復書簡も多く残され、
研究の対象とされているとか。

幼少期から音楽の才能の輝きを見せていた姉と弟
バッハやシューベルトを再評価したという点でも
フェリックス・メンデルスゾーンの音楽家としての業績は高いけれど、
死後160年以上たって、その音楽が演奏され始めた
ファニー・メンデルスゾーンの生涯。

作曲していた楽譜が保存されていたことは
恩寵でした。
夫のヘンゼルが良き理解者であったことも
幸せなことでした。

人の一生、さまざまな生き方がある。

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厳寒の川ー美瑛
2009年1月、北海道の冬の厳しさを見るようです。
冬来たりなば、春遠からじ
ではありますが。

northland-art-studioさんからお借りしました
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2009/1/27  8:45

投稿者:モネ

19世紀のヨーロッパでも、やはり女性は社会では男性と対等ではなかったのでした。
ファニーの曲は、最近演奏されるようになったそうです。
「書いて残す」ことの大切さを思いました。

2009/1/27  8:36

投稿者:玄柊

女性が作曲家としても自由に才能を伸ばすことが出来なかったことを改めて認識しました。
弟とは違った魅力があることでしょう。彼女の作品聞いてみたいと思います。

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