いつも喜び、 絶えず祈り、 すべてを感謝する。 そのような日々を過ごしたい。

2021/9/24

渋沢敬三  ひと

渋沢敬三は、渋沢栄一の孫。

「青天を衝く」でも、これから出てくるようです。

この人のことを、カルチャーラジオ・アーカイブスで聞きました。

本当は動物学者になりたかったのだけれど、
渋沢栄一のたっての頼みで、渋沢家を継ぐことを決意したという。
その時、敬三も涙、栄一も涙だったようです。
1918年(大正7年)、東京帝国大学経済学部入学。

****ウィキペディアより******
1896年〈明治29年〉8月25日生まれ - 1963年〈昭和38年〉10月25日没
日本の実業家、財界人、民俗学者、政治家。
第16代日本銀行総裁、大蔵大臣(幣原内閣)。
祖父渋沢栄一の子爵位を継いだ。
*****

財界人になってから、柳田國男の民俗学に興味を持ち自邸の車庫の屋根裏に
私設博物館「アチック・ミューゼアム(屋根裏博物館)を開設した。
二高時代の同級生と共に動植物の標本、化石、郷土玩具などを収集。
たくさんの研究者を、援助した。

若き日の夢をあきらめず、仕事とは別に、探求心を持って研究していた。
ゴルフ・飲食などの付き合いに明け暮れないで、読書、研究にいそしんでいたのだと思う。

心を打たれたのは、戦後、GHQの指導。指示で、財閥解体、農地解放などの政策の時、
大蔵大臣をしていて、「渋沢は、財閥とは言えないのではないか。申請をすれば、免れる」とGHQの人から言われた。
その時、それを潔しとしないで、断ったという。

「にこ没」と自分で言った。
にこにこして、没落する、、、という意味。

自分だけが、得をするという道を選ばない。

みんなが幸せになることを考えるという、
渋沢栄一の精神は、渋沢敬三にも、受け継がれている。

なんだか、とても嬉しい。

昭和2年(1927年)の金融恐慌で、銀行取付騒ぎの時、
第一銀行の佐々木勇之助は、泰然自若として、動じなかったという。

事が起こったときに、慌てず、騒がず、沈着冷静でいられる人。
日ごろからの、精神の鍛練からくるのだろうか。

清貧という言葉が、流行した時代があった。

しかし、富を得ても、なお清くある人には、一目を置きたい。


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  虹の空 (親愛なる教え子 杉浦譲治君からお借りしました)

   美しい虹を、見たいです。
    虹の彼方には、希望があります。
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