剣岳・・・・その後

2009/6/28  13:01 | 投稿者: 益子

 映画を見た日に
こんなにも「映画の筋やその世界」と同時進行、同時展開で「映画を作っている側の存在」を感じながら見た映画はない。
とブログにコメントしている。
 その後、映画のホームページで制作の途中の動画やPRのために俳優たちがいろいろコメントしている動画をいくつか見た。そんな中でなんとなくなんとなく、???と思っている気持ちがある。
 それが「映画を作っている側の存在」を感じるということが映画を作品としてみる時にどうなのかという疑問なんだとだんだん分かってきた。もしかしてそれは出来上がった作品を「ひとつの世界」として感じきることができないということ、つまり作品のできは??ということなのかもしれない・・・という疑問。映画のことを論じることができるほど、映画通ではないのでねえ。当たっているかどうか?
 俳優もスタッフも歩いて歩いて苦労して苦労して映画を作ったことはよく分かった。そして映像はすばらしい。香川さんの演技もいい。でも、なんだか、釈然としないものがある。
 星野道夫さんの写真から発せられるメッセージは「自然そのもの」と「星野さんそのもの」の両方から発せられていると感じることができる。でも、けしてそれは写真を撮るときの苦労話ではない。星野という人の人格そのものなんだなあ。
 なんだか残念な気がする。映画の宣伝の方略の間違い?それともトータルとしての映画のでき?
 
0



コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ