「生」と同じ「死」

2016/4/1  17:36 | 投稿者: masuko

 今日は多くの朝ドラファンが泣いた日。新次郎さんが亡くなった。

 ドラマはこういう死を描く。大旦那さんも惣兵衛さんも・・・マッサンの時のエリーも・・・

 自分の死期を悟り、近しい人にお礼の言葉を言う。最愛のパートナーの胸に抱かれたり、家族に見守られたり・・。

 見ている人は悲しいけれど、でも言うなれば「満足」というようなものを味わう。互いの心が通じ合う場面に心を打たれるからだろう。

 でも、テレビの前で見ている人のどのくらいの人がそういう最期を迎えられるんだろうか。

 私の身近なあの人もあの人も・・・・。

 だってドラマだもの。作り話だもの。実際とは違うさ。

 それはそうだろう。そんなにことはうまくは運ばない。

 でもそういうことだろうか。

 否・・・・。と「半分」思ってしまう。

 点滴なんかしないから、食べられなくなっても経管栄養なんかしないから、ただただ、家族に見守られて家で養生し、ゆっくりと枯れていくから、だから、
 
 お別れの言葉を言うタイミングがあるのではないだろうか。

 人工呼吸器はやめてください、心臓マッサージなどの過度な延命治療はしません・・・と言えても、点滴を断れるだろうか。痛み止めや安定剤(?ーよくわからないけれど、意識の混濁や呼吸の乱れを鎮めて眠らせてしまうもの)を断れるだろうか。

 病院に、家族に、家に帰りたいと言えるだろうか。家族の負担に遠慮してしまうだろうか。

 家に来て死亡診断書を書いてくれるお医者さんとあらかじめ仲良く付き合っておかなくては、簡単に家では死ねない。

 人間はどうしてこんなに「死」を嫌ってしまったのか。でも、だからこそ、医学はこんなに進歩した。有り難いことではある。

 誰もがいつか死ぬ。死は負けでも悪でも忌み嫌うものでもない。
 
 「死」は「生」と同じ尊いもの。

 
 
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