斎藤尚生先生ご逝去  空&宇宙

 郵便受けを見に行って、一瞬で悟りました。
 質の良い和紙の封筒、差出人が奥様のお名前…。


 東北大名誉教授の斎藤尚生(たかお)先生が、5月上旬に亡くなられていたことを知りました。享年83歳。
 先生の強い遺志で通夜・葬儀は行わず、ご親族のみでお見送りされたそうです。

 脳梗塞を患われて後遺症がおありでしたが、4月に頂いたお手紙は、字は震えてはいらっしゃいましたが手書きでした。
 その時に、ご高齢でもあり気がかりになりましたが、好奇心旺盛なお姿はお変わりなく、最期は突然のことで、お苦しみになる間もなく天に召されたとのことでした。


 オーロラや日蝕にご興味がおありの方ならば、斎藤先生のお名前をご存じかも知れません。
 オーロラのドレープをバレリーナのスカートになぞらえたり、皆既日蝕の時に見られるコロナを「モヒカン刈り」と称されたり、古代エジプトのある象徴としての有翼日輪に紐付けられたり、非常にユニークで独創的な理論を展開されておいででした。
 私がオーロラの科学について知識を得たり、それを深めるにあたっては、斎藤先生の著書と、直接やりとりさせて頂いたお手紙やお電話でのやりとりなくしてはあり得ません。(もちろん赤祖父先生や上出先生の著書やご講演もですが。)
 しかしながら、私の理解力では、到底追いつくものではなかったのですが…。
 地球物理学者でいらっしゃいましたがご興味や知識は幅広く、著される論文も多岐に渡っておられました。

斎藤先生の論文例

  


 ご縁があって1991年の皆既日蝕以来親しくさせて頂き、私の拙いオーロラや日蝕、大気光象の写真を論文に使って下さり、その上、本当に恐れ多いことですが、共著者として名前まで出して下さったのです。
 一つの論文の中に何枚かの写真を使って頂いただけなのに、「著者」として名前を出して頂けるなんて…。
 何故か先生のお名前よりも前に、私の名前が記されているものも!!!ひえぇぇぇぇぇ…。w|;゚ロ゚|w


 長い長い手紙をやりとりしたり、電話で何時間も話し込んでしまったこともありました。(まだメイルは一般的に普及していない頃のお話)
 私は一方的に教えを乞う立場ではありましたが、私の何気ない言葉が先生の中で気になる点でもおありだったのか、一つの会話から、どんどん世界が広がって行きました。
 私にはとてもとても追いつけない状況でしたが。
 何と何と贅沢なことだったか!!!

 音楽にも非常に造詣が深くていらっしゃる上に、絵も非常にお上手でいらして、お手紙に万年筆でサラサラと描かれたイラストがあったり、年賀状には身近な風景を細かいタッチで描かれた素晴らしい絵が添えられていました。
 震災で被災されてご苦労もおありだったかと…相前後して脳梗塞を患われたようで、その後は無理になってしまわれましたが。
 愛猫家でもいらして、その点でもお話が合いました。
 「猫語」がお分かりで、辞書も作りたい!とおっしゃっていました。
 
 今年3月に私が鹿児島を訪れた際に、満開の桜と桜島が一緒に写った絵ハガキと心ばかりの物をお送りしたら、非常に喜んで下さいました。良かった!
 しかし、この一連のやりとりが最後になってしまいました。

 沢山お世話になったのに、実は一度もお目にかからないままでした。
 非常に残念でなりませんが、「オーロラの国の知恵者猫」のままでイメージが崩れずに良かったのかも知れません。


 斎藤先生は、特に晩年「あの悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない」と、折に触れて訴え、活動されていらっしゃいました。
アラスカの、満天から降ってくるような星くずを背景にオーロラはゆらめいていた。
私は、人間が第三の眼を頭の上に付けている動物であったなら、世界観は変って、馬鹿々々しい戦争など、地上から消えるのではないかと思った。
斎藤尚生著 共立出版「オーロラ・彗星・磁気嵐」より
 戦争は二度と繰り返してはなりません。心底そう思います。
 ご遺志を継いで参りたいと思います。


 昨夏の村山先生、そして斎藤先生…。
 私が若くて元気に動き回っていた頃に大層お世話になった先生方が相次いで旅立たれてしまい、とてもとても寂しいです。
 ご迷惑も色々おかけしたことと思います。
 もっとお話をお伺いしたかった。
 心よりご冥福をお祈り申し上げます。


  

   
1
タグ: 天文 宇宙 斎藤尚生



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ