「「ウー初めてのスクールランチ事件」子どもが英語を習得するまで 2」
家族が生活に馴染むまで
(
続きです)
息子ウー、学校での最初のトラブル。
それまでお弁当を持って行っていた息子のウーが、初めてスクールランチに挑戦した日のこと。
彼は当時2年生としてこちらの学校に編入しましたが、実は日本ならまだ1年生の年齢。7月の末生まれ(早生まれみたいな感じ)なのですが、このあたりでは、8月の末が学年の切れ目なので、日本で3ヶ月小学校に通っただけの7歳児がいきなり2年生になってしまったのでした。
そんなウーが、私の説明した翌日のランチメニュー(たしか好物のピザだったと思います)を見て
「ランチを買ってみたい」と言ったのです。
いつも(必要以上に)明るく、元気なウーなので心配はしませんでした。
でも初めてのことなので万全を期そうと、封筒にランチマネーの2ドルを入れて封をし、表に担任の先生宛のメッセージ(初めてなので手伝ってやってほしい旨)を書き、ランチの前に先生へ渡すよう言い含めて送り出しました。
ところが、その日スクールバスから降りてきたウーは、家に着くなり、しくしくと泣き出し、私に抱きついて胸をこぶしでドンドンと叩きながら
「お腹がすいてるんだよ。お昼食べられなかったんだよ。」と言ったのです。
泣きじゃくるウーからようやく聞き出したのはこういうことでした。
ウーが担任の先生に封筒を渡すと先生は
「OK」とそれを受け取った。その後みんなで列になってカフェテリアへ行ったが先生はおらず、子ども達はそれぞれ並んで好きなものを買い、食べはじめた。ウーはどうしたらよいのかもわからない、お金も持っていない。誰かに聞こうにも
英語が話せない。
…楽しくランチを食べる子ども達でいっぱいのカフェテリアの片隅で、30分のお昼休み時間、
お腹を空かせてただ立ち尽くしていたというのです。
「お腹がすいちゃった」と泣くウーがあまりにも切なくて私も一緒に泣いてしまいました。
実際には空腹それ自体よりもその
心細さ、みじめさがさぞかし辛かっただろうと思います。
すぐに先生に手紙を書き、問い質したのですが、先生は
「私はランチ係りの大人に封筒を渡しました。後のことは知りません。こんなことが起きてお気の毒です。」というだけ。今の私だったらこんなひどいことをこのままにはしておきませんが、当時はこれで精一杯でした。何しろ英語のそれだけの手紙を書くのにも何時間もかかっていたのですから。
それにその当時は他にも細々とした
トラブルが山のように押し寄せてきていました。どれもこれも今だったら取るに足らないモノですが、その頃の私には手一杯でした。それに学校から山のように持ち帰る毎日の
配布物の山。そのほとんどはいらない情報でしたが、当時はそれを分類するだけでも辞書を引き引き数時間を要する大仕事だったのでした。
結局、ウーのランチマネーがどこへ行ってしまったのかはわからないままです。それでも私にはわからないことが他にありすぎて、抗議をしようにもどこから手をつけて良いのかすらわからなかったの。。。
その後も、そのクラスではいろいろと問題が起きました。ある時は担任からESL(英語補習クラス)の教師を通して
「お宅の息子さんは今日問題を起こしたので明日までに反省文を書かせて持たせてください。」などという手紙が来ました。本人に聞いてみたけれど何が起きたのか全然わからない、と言います。でもひどく叱られたらしいことはぽつりぽつりと話す内容からわかりました。
この時は学校で出向いて話を聞きましたが、なんとびっくり、低学年のクラスには教室の中で友達の身体に触れてはいけない、というルールがあったそうです。そんなことは知らないし理解できないウーは
「何度注意されても」繰り返した。それで先生が怒って反省文騒ぎとなっていたのでした。
結局、誤解が解けて反省文は書かなくて良い、ということになりました。
だけど、これだってあんまりな話です。だってウーは言葉がわからないのです。わからないけれど先生が怒っているらしいから一生懸命
「yes」...「yes」と答えていたと言うのです。
・・・Noと言えない日本人・・・なんて笑っている場合じゃないんです。こちらの社会では、日本ほど「人に親切に(おせっかいを)する」ことを良しとしないので、手取り足取り面倒見てくれることなどは最初から期待していないのですが、英語のわからない子どもに英語でベラベラとお説教をして「子どもが
ちゃんと返事をしたからわかったと思った」って。でもこれが現実なんです。「わからないのにYesなんて答えるのが悪い」ということなんでしょう。日本語の「はい」は、相槌というか、「聞いています」という意味でも使いますが、英語の[yes]は「了解しました。OKです。」という意味です。でもそんなこと、当時ウーはもちろん、私たちだってよく理解していなかった。
そしてその話し合いの中でウーは
「いつも何もわからない、みんながしていることがわからない。次の時間に何をするのか、何の準備をして待ったらいいのか、どうしてみんなが急に本を片づけたのか、どうして立ち上がったのかもわからない、何にもわからないんだよーっ」と叫んで泣きました。
その頃、週末だけ通っていた日本語補習校の宿題をめぐってもウーのストレスは溜まり、ついにチックの症状が出始めるに至りました。
(
つづきます)
アメリカに着いたばかりの頃のウー。
うーん、暗いですねぇ。なんだか思い出したらどん底時代って感じですね。でも今はちゃんと立ち直っていますのでご安心ください♪なお、今回の記事はスペイン在住のくーまくーま。さんのブログにトラックバックさせていただいています。
ブログランキングに参加しています。実は現在の総合順位が過去最低( ̄□ ̄;)!!になってしまいました。最近ブログ人口が増えているのでは同じ点数でも順位がズルズルと下がって行くんですよね(涙)。クリックで救出よろしくお願いします。→どらどら♪

1