そんなわけで、とりあえず取り組む曲がなくなってしまいました。
…という時に出会ったのが映画「The Pianist(邦題:戦場のピアニスト)」です。
ある程度覚悟して見たんですが、やはり戦争の時代を再現した映像は平常心で見るのが難しいです。戦時下では人間なんてそれこそ虫けらのようにいとも簡単に殺されていきます。それぞれの人間にそれまでの人生があったこととか、家族がいることなんて誰も気にせず、人間の命はポロポロと落とされていくんです。
戦争に正義なんてない、ただのゲームでしょう。勝つか負けるか、支配するか支配されるか。そのゲームです。その証拠にドイツやオランダ、ポーランド、ヨーロッパの至る所で好き勝手をしたナチスの兵士たちは戦争が終わった途端、今度は逆に捕虜となって立場が逆転する。獄死した者もたくさんいました。なんてばかばかしい。でもそれを繰り返すのが人間なんですね。どちらの立場の人間たちもただのゲームのコマです。
ともかく、この映画で主人公はただ逃げて逃げて逃げまくります。戦いもしません、音楽で人々を感動させることもしません。
この映画の評判をネットで調べていて、上記のような感想が目立ったのに私は驚きました。この映画にそういう不満を持った人々はノンフィクションに何を求めているんでしょう。中には「自分を助けてくれた将校をこの主人公は救えなかったことが許せない」というような意見も見かけました。
でも。
それが戦争なんです。戦争はハリウッド映画みたいにかっこよくも感動的なものでもない。何か勘違いしていないでしょうか。
とにかく主人公は逃げて逃げて逃げまくり、汚い姿になって、それでも逃げます。ひたすら食べ物を求めてうろつきます。滑稽です。あさましくもあります。それが事実でしょう。きれい事なんて言っていられないんです。私は幸いにして飢えたことはありませんが、想像はできます。実際はその想像などを遙かに上回る苦しみなのだろうということもまた想像できます。
ともあれ、主人公は隠れ家で野菜の缶詰を見つけ、それを開けようと躍起になっているところをドイツの将校に見つかってしまいます。職業は何かと聞かれ、ただ「ピアニスト」と答える彼に、将校は何か弾いてみろと言い、ほこりをかぶったグランドピアノの蓋を開けます。
そこで主人公が弾くのがこの曲。ショパンのバラード1番 Op.23です。
(これは実は実際とは違っていて、シュピルマンがその場で弾いたのはショパンのノクターン遺作らしいです。いくらプロのピアニストでも何年も隠匿生活を続けて、病気になったり飢えたりした状態でバラード1番を見事に弾きこなすのは難しいと思います。)
ショパンはドイツの敵国ポーランドの音楽家で、祖国を踏みにじられる怒りを表した曲をいくつも書いているので、戦争中、ドイツ軍はショパンの演奏を禁止していました。そこで敢えてショパンを選ぶ主人公。その選曲はどんな意味があったのでしょう。もう終わりにしたいと思ったのでしょうか。その場で殺されても全然おかしくないシチュエーションです。
この場面で聴いたバラードのインパクトは強く、それ以来私は、何故か手元にあったルービンシュタインとエリザベータ・ニューマンのバラード1番を毎日繰り返し聴いています(後者のCDは
ペトロフのアンケートに答えたらチェコのペトロフ本社から送ってきてくれました。もちろん楽器はペトロフです。)どちらもすばらしいのですが、やはりルービンシュタインは別格という気がします。ポーランド人だから?
主人公の弾いたバラード1番に感動したのか、ドイツ将校は彼を見逃し、食べ物をこっそり届けてくれることまでするようになり、「ドイツ軍はもうすぐ負けるからそれまで辛抱しろ」と言います。
そうして隠れているうちに戦争は終わり、主人公はもう一度ピアニストに戻れる。将校は捕虜となり、自分の名前を主人公に伝えて助けてくれるよう、通りがかりのポーランド人に頼みますが、主人公は将校をとうとう見つけることができず、将校は獄死してしまう。
このあたりの救いのなさが一部の観客には不満だったのでしょう。でも戦争に救いなんかないです。主人公が助かったのだって万に一つの幸運に過ぎません。途中のどの場面で無作為に選ばれて頭を撃ち抜かれていてもおかしくはなかったんですから。
私が今まで見た映画の中で、この映画はかなり印象の強いものとなりました。それとバラード1番が結びついて今でもこの曲に取り憑かれています。弾いてみたいけれど、まあ、無謀ですね。取りかかったら最後、一生の課題となってしまうことでしょう。
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