皆さんがよくご存じのとおり、三宅島には都月次郎氏が3年前から移り住んで生活している。彼は近野氏と組んで過去には多くの「こころの温泉」イベントを企画してきた。
そして三宅島に移り住んでからは、しばらくはおとなしくしていたのだが、
今回の大震災をきっかけにまたその話が持ち上がったのだ。
近野氏のレポにもあるとおり、4月に「こころの温泉」メンバーと千葉県飯岡の被災地へ激励コンサートに行った際には、遠く三宅島から駆けつけて、出身地である千葉では義姉さんの住む九十九里の宿まで提供してくれたのだった。
この時に、三宅島で「文化応援団を立ち上げて、社会福祉協議会の助成が受けられそうだ、竹勇さん来てくれないか?」との話が持ち上がった。他にもメンバーがいるので私一人ではどうかな?と思ったのだが、予算の関係で一度には呼べないとのこと。
とりあえず私は「島の人たちに喜んでいただけるなら是非とも」と返事をし、「こころの温泉」メンバーの先遣隊として招かれることに決定したのだった。
7月15日(金)22:20 竹芝桟橋を出港
16日(土)朝5:00に三宅島に接岸
この日は少し休んでから次郎さんが島内を案内して下さった。
この島は火山島、約20年ごとに噴火に見舞われている。
2000年の噴火は記憶に新しいが、この時の火山灰による泥流被害、
そして火山ガスの影響は多大なもので、全島民が本土に避難したことは
皆さんもご存じと思う。とにかく泥流で埋まっってしまった学校や民家が
生々しく残っている。

泥流で埋まってしまい頭だけ出している椎取神社の鳥居

火山ガスの影響で枯れてしまったスダ椎の木
また火山ガスは今でも噴出していて、防災無線が毎日
危険情報を放送しているくらいだ。その火山ガスの影響によって山々の木々が枯れ果て、そして鉄柵などを溶かしてしまうくらい強烈なガスの脅威に驚いてしまう。

あれから11年、自然の力はすごいものだ。山々の木々が緑の活気を取り戻し、鳥たちのさえずりが美しく、鳥たちの宝庫になっていて、バードウォッチングに最高の島となっている。昭和58年の噴火で噴出した溶岩流が創りだした自然のアート。満点の星、避難所から戻ってきた島の人々の温かいもてなし。

海に浮かぶ島はイルカと一緒に泳げるドルフィンツアーで有名な御蔵島

GLAYの曲でHOWEVERのプロモートビデオ撮影の際に、ロケで使われたという「新鼻」、58年の噴火で流れでた溶岩で出来たものだ。
http://www.youtube.com/watch?v=gPcPseeICjs&ob=av2e
プロモートビデオの最後のシーンに同じ場所が出ていた。

新鼻の先に立ってみた!

数百年前から神木としてあがめられ、迷子になってもこの木を目当てにくれば助かるとい言われた「迷子椎(まいごじい)」

鳥たちの宝庫である大路池はバードウォッチングに最高!
その三宅島を舞台にした映画「わんこの島・ロック」が7月23日に封切られたが、
島の人たちもエキストラで出演したため、ちょうど私が行った時に試写会が上映されていて観ることが出来た。噴火の時に取り残された犬と、それを小さい時から可愛がってきた子供や家族との絆が涙を誘う、噴火の時のこともよくわかる、なかなかいい映画だった。
私は三宅島にも何か芸能や唄があるに違いないと思っていたが、ちょうど立ち寄った図書館の視聴覚室で島の唄が収録されていたビデオを発見。
島内の各地区に共通の「島節」というのがあることがわかった。
*ハアー 三宅島かよ緑の島かよ〜 小鳥さえずるよ 唄の島よ〜
これを翌日のコンサートで披露することにした。
17日(日)10:30〜
特養ホーム「あじさいの里」にて慰問コンサート
利用者さんが三味線に合わせて「島節」を唄って下さった。
*ハー おまえ百まで わしゃ九十九までよ〜 ともに白髪が生えるまでよ〜
13:00〜 社会福祉協議会主催、お年寄りたちの会食会後のコンサート
(三宅村公民館)

都月次郎さんが「さびしい」を朗読、コラボレーションを楽しんだ。
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「さびしい」
人間はみんなさびしい
そのことをもっと話してもいい。
さびしいから酒をのみ唄をうたう。
大さわぎしたあと
帰っていく一人の後ろ姿を見れば
それが分かる。
おじさんだってさびしい
りっぱに禿げていても
部下を怒鳴りつけて
女子社員を泣かしても
本当に泣きたいのは
おじさんの方だ。
おばさんだってさびしい
スカートのホックが閉まらないほど
おなかにかんろくがついたって
あんなに苦労して育てた
息子や娘たちが
夜中になっても帰って来ない。
猫と二人だけの夜
誰も食べずに冷えていく
テーブルの夕飯を見ていたら
外へ出て行きたいのはおばさんの方だ。
子どもたちもさびしい
だからあんなにでっかい音で聞く
あの音がなかったら
そのさびしさにとても耐えられない。
暴走族もさびしい
先生もさびしい
寝たきりのじいさんも
ダンスに通うばあさんも
レジのパートも
コンビニのアルバイトも
不機嫌なタクシーの運転手も
交番の赤い灯の下で
一人で立っているお巡りさんも
みんなさびしい。
みんなさびしいのに
だれも
さびしいと言えない。
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今ではすっかり島民として知られている次郎さんの朗読を聴くのは初めてだったようで、みんな驚いて聴き入っていた。
皆さんが三味線に合わせて「島節」を唄い、そして踊りまで踊って下さった。
*ハアー 松になりたや 船戸の松によ 出船入船よ 見て暮らすよ
18:30〜 山本竹勇・津軽三味線の夕べ(三宅村公民館)

ここでも次郎さんが「さびしい」と、最近出版した詩集「火山島の猫」の中から、
「山のある場所」を朗読&コラボレーション。特に三宅島のことを書いた詩は大喝さいを浴びた。
「山のある場所」
山はどっちにあるの?と
毎日聞いたひとのために
三日目にはすっかり霧が晴れて
雄山は頂上を見せてくれた。
度重なる噴火で
傷だらけのてっぺんだが
それでも島の神のように
山はいつでもそこにある。
こんな梅雨どきには
すっぽりとベールに包まれ
見えたり見えなかったりする。
霧があるから見えないのか
それともわたしの目が曇っているのか。
山はどっちにあるの?
海の反対側。
島は山そのもので
七合目から上が
海の上に突き出ているというのだから
どんなに噴火しても
たえまなく火山ガスを吐き続けても
やはり島民の思いを抱きしめて
山は島のまん中にあり
空に向かって立ち続けている。
流人達の苦い歴史や
島を引き裂いた
米軍基地反対闘争や
四年半の全島避難の日にも
山はいつでもそこにあり
だまってずっと見つめていた。
山はどっちにあるの?
ほんとうは どこにでもあるんだ。
あなたの夢の中にも。
ふりかえると
婆さんのやさしい顔で
あなたを見つめているかもしれない。
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そして「島節」の三味線はここに来てほぼ完成。
*ハアー 波を枕によ 一夜が明けりゃよ あじさい花咲く 三宅島よ
ほとんどが津軽三味線を生で聴いたのは初めてだというので喜んでいただけたようだ。
台風6号の影響で、船が三宅島に着かないのでは?という不安。
もしもの場合は滞在すればいいか!と思いつつも、帰ってやらなければならない仕事があるので、飛行機のキャンセル待ち予約まで入れた。まもなく島内放送があり「別の港に接岸のため、船がこちらに向かっています」とのアナウンス!ラッキーだ!私は今までの運がよく、晴れ男でもある。だから今回も期待していた。
とはいううものの、船が近づくにつれて打ち寄せる波が高くなり、テトラポットにはじけ散る波しぶき!接岸しそうで帰ってしまうケースもあるとか?奇跡的な接岸に皆から拍手が沸き起こった。次郎さんも「3年居るが、こんなのは初めてだ!」やはりラッキーだったのだ。
揺れ動くタラップをすばやく船に乗り込みデッキに立つと、お世話になった人たちが見えなくなるまで手を振って見送って下さった。
船の別れは辛い!熱いものが込み上げてならなかった。
本当の「こころの温泉」に浸ることが出来て良かった。
今回は先遣隊として乗り込んだわけだが、次回につながる感触を得た。9月は楯岡眞弓さんの一人芝居が予定されているようだが、必ずや島の人々に喜んでいただけると思う。
そしてまた次のメンバーへと引き継いで繋がっていけたら最高だ。
とにかく印象に残る素晴らしい旅となった三宅島コンサート。
機会があれば是非また訪れたい素晴らしい島だった。
お世話になった次郎さん、そして島の皆さん!本当にありがとうございました。

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