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そんな感じ、かな。

 
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投稿者:泉
なかなか皮肉なことに、台湾と日本は国交がないことになったま
ま50周年を迎えました。w

>敗戦までは台湾の烏龍茶も日本の一地方茶だったという。
僕が子どもの頃社会科で習ったのは、烏龍茶やプーアル茶はとて
も品質の悪い物だというようなことでした。
それがまぁ、今ではこの日本での烏龍茶ブーム。
台湾の烏龍茶も、実際色々のませてもらったりするんですが、日
本茶よりも遙かに薫り高い物もあって、その奥深さに驚かされま
す。

思えば他国の文化を正確に評価するなんて事はなかなか困難な話
しで、それを単に自国の文化を最高としてそれよりも劣ると勝手
な等級をつけて満足する、そんな感じの知識を押しつけられて
育ったのかもしれないと思うと、当時の教育なんてホントにいい
加減なもんだったと改めて思わされます。
まぁ、言ってしまえば、「南洋の土人」ぐらいの認識しかなかっ
た時代だったんですよね。
とほほ。

もっとも、台湾国内でも台湾原住民に対する認識はというと、こ
れもまたなかなか微妙な感じですけどね。
これについては、日本もアイヌ民族などなどに対して行ってきて
いることを考えると、えらそうなことは言えません。
(^_^;

台糖という工場のサトウキビ列車基地跡に典型的な日本家屋の廃
屋が残っていて、それがまた拓殖なんて学科が幅をきかせた頃の
夢の跡ってな感じで、なかなかの感慨でしたよ。
台湾の通訳の子と話していて、微妙な気分を味わいましたです。
投稿者:にしかわ
丁度今日の農業新聞で東方美人茶考というタイトルの記事が出ていたのでお茶のコメントです。
日清戦争後台湾が日本の統治下にあった頃、
丁度紅茶が世界的に流行していた。日本でも良い
紅茶を作ろうとしていたが気候の関係で良くできず
台湾で茶業試験場ができ研究開発された。
(1903年)
敗戦までは台湾の烏龍茶も日本の一地方茶だったという。
S10年発刊の大阪市茶商組合員名簿の広告欄に
烏龍茶や紅茶の宣伝で賑わっていた。

こうしてみると日本と台湾の茶の交流は
結構古い歴史を持っているんですね。

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