
花散らしの雨と言うと、とかく心ない雨のように言われがちですが、これはこれで、また味わい深いものではないでしょうか。
クリスマスローズに降りかかる、染井吉野の花びら。
桜よりも前に咲いてまだ当分咲き続けるクリスマスローズは、惜しまれつつ散ると言うことはありませんね。
まぁ、演歌の一くさりにもありましたが「愛し足りない内が華」と言ったところでしょうかね。

雨に濡れそぼって咲く、山桜の姿もなかなか艶っぽいものです。

手前の白っぽいのが大島桜。
むこうが染井吉野。
一面に散り敷いた、はなびらのタペストリー。
で、つい思い出すのが、三好達治の「
甃のうへ(いしのうえ)」。
甃のうへ
三好達治
あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳(かげ)りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍(いらか)みどりにうるほひ
廂々(ひさしひさし)に
風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃のうへ
彼が学生の頃に書いた作品だと言うんですから、その音楽的響きの美しさは天性のものだったんでしょうか?

大蛇のような幹にひっそりと咲く花。
何という対比でしょう。
さて、花散らしの雨も、春のつぎのページをめくる束の間のひとときに過ぎません。
季節は次々に紡ぎ出され発展しせめぎ合う、あのドビュッシーの交響組曲「春」のようです。
密やかな苦悩とともに生まれ出て、やがて官能と混乱のるつぼへと発展していく。
そして、季節は、生命力のせめぎ合いひしめき合う初夏へと移り変わっていく。
いえ、先を急いではいけませんね。

綾の深い日本の春は、さらに妖艶で艶やかな八重桜の季節を用意しているのですから。