「時をかける少女/谷口正晃;2010年劇場公開作品」
映画
仲里依紗のプロモーションフィルムとしてはよくできていると思うが、これがあの「時をかける少女」のリメイクかと思うとかなり残念な出来。全体に、もうちょっと煮詰めてほしい部分が多すぎた。
たとえば、芳山和子(安田成美)が冒頭でさくらんぼとアリを使ってしていた実験はなんだったのか、結局最後まで説明がない。あれでは、さくらんぼにかけていた液体はアリを消す(溶かす)薬としか思えない。もちろん、のちに芳山あかり(仲里依紗)が服用した「時をかける」薬なのだろうが、だとすれば、この時点ではもう完成していなければおかしいはずで、今さら初歩的な生体実験などしている段階ではないだろう。
そのほかにも、和子がためていた(もちろん過去に戻って使うため)昭和47年の100円玉のくだりは重要な伏線なのに、溝呂木(中尾明慶)の部屋で積み重ねて勘定するまで出てこなかったりするし、時をかける薬を飲むシーンにしても、そのとき二本あったうちのもう一本がどこにあるのかわからないままなので、終盤でアンプルを割るシーンが唐突に見えてしまった。いずれもあかりが過去に戻るとき必要な二大アイテムなのに、それを観客の頭に叩き込む肝心のシーンがないとは、この監督、ドラマ作りの基礎的な部分がわかっていない気がする。観客は超能力者ではないのだから、画面に映らないものは見えないのだ。
ちょっと掟破りだったのが、あかりが過去の人間である溝呂木に、何の迷いもなく自分が未来人であることを告げ、彼もそれをあっさり信じてしまうこと。溝呂木がSF映画オタクであり、そういうことを信じやすい下地があったのと、なによりケータイという21世紀テクノロジーの結晶を見せられたのが決定打だった。そういえば、ホイチョイの「
バブルへGO!!」でもケータイが似たような小道具として使われていたっけ。しかしこれも、溝呂木に見せたあとは、持っていたことを忘れたかのように出てこないまま終わってしまう。せっかく出したのだから、通じない電話以外のさまざまな機能をきっちり使うべきだった。カメラ、時計、音楽プレーヤー、そしてさまざまなアプリなど、圏外でも使え、ドラマのネタにできる要素満載なのだから。
終盤、映画冒頭でわざとらしく張られていた伏線が生きるのだが、これもかなりのご都合主義にしか見えなかった。もっと別の、クレバーな解決法を思いつけなかったのだろうか。どうしてもラストシーンで観客を泣かせたかったのだろうが、それに必要なさまざまなシーンの積み重ねがあまりにおろそかで、ドッチラケというしかない。・・・
★★

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