「スカイ・クロラ/押井守;2008年劇場公開作品」
アニメーション
押井守という映像作家とは決定的に感性が合わない、ということは以前から書き続けてきたが、それでも本編を観る気になった要因は、なによりこれが空モノである、という一点に尽きる。
現実の過去ではないもうひとつの過去、といった趣の、ファンタジーといっていいジャンルに属する作品だが、たとえば「キルドレ」という言葉ひとつにもほとんど説明がなく、とても子供には見えない主人公たちが自らを「子供」とよぶ奇妙さともあいまって、独特の空気を形作っていた。個人的には見た目がどんなに子供っぽくても、社会的な地位を得ており(航空部隊という組織の中で、パイロットとして働いている)また性的能力がある(なにしろ娼家に出入りしているのだ!!)なら、それは立派な大人だと思うのだが、本編の「子供」の定義はどんなものなのだろう。
さて、肝心の絵作りについてだが、立体感あふれる航空機や空、雲の描写と相変わらず書割みたいに薄っぺらな人物との不調和ぶりは、「
イノセンス」をもしのぐ酷さ。「イノセンス」はそれでも人物デッサンがちゃんとしていたからまだ見られたが、本編のキャラクターデザインはデッサン力という方面にまったく力を入れておらず、はなはだ頼りない。もっとも、作風それ自体には意外に調和していた気もするので、むしろ問題なのはあまりにリアルすぎたメカ(敵機スカイリィはドイツ機そのもの、主人公の愛機「散香」は実在した「震電」をメッサーシュミット社がアレンジしたような機体)や背景描写の方なのかもしれないが。
メカについてリアル、と書いたが、あくまでそれは外見上の話。動かし方は一見それらしいものの、レシプロ機の出力を考えるととても不可能な機動が多々見られ、また、機体上面から機銃弾を多数叩き込むなど、物理的に不可能な描写も多い。実際には飛行の軸線が異なる敵機に銃弾を叩き込むチャンスはわずかしかなく、それを生かすためには敵機の現在位置ではなく、未来位置へ向けて発射しなければならない。バルカン砲ほどの射速があるならともかく、普通の機銃では二発目が当たるときには機体は大きく移動して、とてもではないが「蜂の巣」状態にするのは無理なのだ。それが可能なのは唯一、敵機と同じ軸線上にいるとき、つまり真後ろにぴったり食らい付いたときだけなのである。
それにしも退屈な映画だった。初回はほぼ半分くらい寝てしまったので、二度目には気を引き締め、頑張って鑑賞したのだがそれでも終盤、気がつくと寝ていた。
以下ネタバレあり、まだ観てない人は読まないように
その後、どうしても釈然としない部分があったので三度目の視聴。それは終盤、主人公カンナミと三ツ矢との会話に出てくる「キルドレ」の意味についてだ。当初三ツ矢はそれが薬品の名前であるといい、途中から不老不死のピーターパンみたいな存在を意味する言葉となり、さらにはいくらでも複製可能なクローン人間のごとき存在を匂わせて終わる。確かに、いくらでも複製可能なクローンなら傍目からは不老不死に見えても当然だ。それを暗示するかのように、途中で戦死したパイロット、湯川田の補充要因は見た目から癖まで湯川田そっくりだったりするし、なによりカンナミの死後、彼の補充として入隊したヒイラギも、顔こそ出てこないものの、後姿や物腰などカンナミによく似た男だった。
もうひとつ気になったのは、やはり終盤、敵パイロット「ティーチャー」と渡り合うときカンナミが口にする"I'll kill my father"という台詞。字幕では「ティーチャーを撃墜する」となっていたが、明らかにteacherではなくfatherと発音していた。草薙の会話の中で「ティーチャー」はかつてカンナミと同じ会社に所属するパイロットであったこと、そして彼が「キルドレ」ではないことが明かされている。SF的なセンスを総動員すれば、fatherとは文字通りの父ではなく、クローンのオリジナルを意味する言葉だったのかもしれない。原作を未読なのでなんともいえないが、小説では言語を使い分けて表現することなど不可能なので、このあたりをどうしていたのか、気になるところだ・・・
★★

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