「ザ・マジックアワー/三谷幸喜;2008年劇場公開作品」
映画
まず第一に非常に気になったこと。それはタイトルである。「マジックアワー」という言葉は本編中に二度出てくるが(主人公村田=佐藤浩市=の初登場シーンと彼が憧れの俳優高瀬充=柳澤愼一=に出会うシーン)本編に何の関係もない。まあ、意味としては確かに「人生の輝く瞬間」を指しているのだとは思うが、たとえばテレンス・マリック「
天国の日々」のように、撮影そのものに「マジックアワー」の「光」を多用した作品には全然なっていなかった。なぜそのようなものを、映画全体を象徴するタイトルとして使ったのか、どうにもその意図がわからない。
それからもうひとつ、これもけっこう気になったのがセットである。おそらく意図的なものだとは思うが、それにしてもホテル近辺の町並みにまったくリアリティがない。ちゃんと立体的に作られているにもかかわらず、書き割りにしか見えないのだ。いくらフィクションの世界だとは言っても、そこにはフィクションの世界の住人が暮らしているはずであり、それなりの生活感はやはり必要だと思うのだが、電柱一本、電線一本ない町というのは、徹底してインフラ埋設を行っているところでもない限りありえない。町並みからして、舞台となった「守加護」は古い地方都市という設定らしいので、そうした事業が行われているとも思えず、結果として単なる「現実感のない町」で終わってしまっている。
シナリオそのものは、さすが三谷幸喜の手になるものらしく、非常にうまくまとまった、娯楽の王道を行く喜劇に仕上がっており、少なくとも劇場を爆笑の渦に巻き込む、という目的は十分果たせる映画になっていたと思う。
キャラクターの掛け合いのうまさはいつもながらだし、それとない引用など、さすが三谷とうならされる。たとえば、現実のギャングとのやりとりをすべて「映画の上のこと」と信じてこなしていく村田という俳優の設定は、おそらくブラッドベリの短編「戦争ごっこ」(確かこれを原作にしたテレビドラマがあったと思うのだが、現段階では未確認)が下敷きにあると思われるのだが(現実の戦争を遊びと思い込んで勇猛果敢な活躍をする一兵士と、彼に現実を知らせまいとするその戦友との関係が、本編の村田と備後=妻夫木聡=を髣髴させる)じつにうまく自家薬籠中のものとして使いこなしている。正直言ってかなり無理のある設定なのだが、その危うさをもギャグとして、ひとつひとつ昇華させていく手腕は並大抵のものではない。
そうした完成度だからこそ、上記の二点、特にセットの違和感が気になってしまうのだ。基本的に三谷は舞台の人なので、そうした映画のアリアティについてもうひとつ無頓着なのかもしれない。
ところで、またまたどうでもいい話だが、劇中劇というか、映画中映画^^;に登場した俳優高瀬充(谷原章介)の現在の姿を演じた柳澤愼一は、かつて柳沢真一の芸名で歌手、俳優そして声優として活躍した人で、失礼ながらご存命中とは知らなかった。有名なところではテレビドラマ「奥様は魔女」て主人公サマンサの夫ダーリンの声を当てていた人で、サマンサ役のエリザベス・モンゴメリーも、ダーリン役のディック・ヨークもすでに故人となっている。なぜ彼がキャスティングされたのかは知る由もないが、若き日を演じた谷原とは、まるで谷原本人が特殊メイクを施したかのようによく似ており、そこを買われての起用だったのかもしれない。・・・
★★★★

1