「舞妓Haaaan!!!/水田伸生;2007年劇場公開作品」
映画
クドカンの脚本そのものは多分面白いのだろうが、畳み掛ける途中までの展開が終盤の「人情噺」のパートに入ると突然パワーダウンし、これまでのハチャハチャな展開は何だったの?と聞き返したくなるくらい湿ったお話になってしまう。主人公の舞妓オタク、きみちゃん(阿部サダヲ)はいうに及ばず、8億円プレーヤーの内藤(堤真一)までもが、それまでとはまるで別人と化してしまう展開には、いささか唖然としてしまった。
不自然な話なら不自然なまま突っ走ればいいのだし、ペーソスを主体にしたいならそれなりのもっと当たり前な展開にすべきだっただろうとは思うが、考えてみればクドカンの脚本には多かれ少なかれそうしたムラがあり、そのあたりが魅力のひとつでもあったことを思うと、今回の「すわりの悪さ」はやはり演出の問題かもしれない。いずれにしろ、ささいな矛盾が上映中から気になるとすれば、その責任は観客を乗せ切れなかった監督に帰すべきであろう。
キャスティングについても一言いわずにはおれない。いつも通りの怪演で阿部サダヲ本人を演じきったとしか思えない阿部は別として、柴咲コウは大ミスキャスト。顔の彫りが深すぎて舞妓メイクがまったく似合わず、小さい女の子がお母さんの化粧品を使っていたずらした顔にしか見えない。顔が濃すぎて白塗りくらいでは個性を隠しきれず、どう見たって柴咲コウそのままである。いくら「映画のお約束」とはいえ、その事実をきみちゃんは携帯電話がなるまで全然気づかなかった、というのはあまりに不自然だ。
ついでにいえば、ここの演出に限ったことではないが、肝心な場所で肝心の演技を見せない(舞妓姿の柴咲の携帯がなって、その正体に気づいた瞬間の阿部のリアクションがほとんど写ってない)という、役者の努力を無にするようなカットが目立ったのはどういうわけだろう。そういえば水田監督の前作「
花田少年史 幽霊と秘密のトンネル」にも同様の傾向が感じられた。この監督の「癖」なのだろうか。
極端なまでに不自然な(まったく意図不明な)エンディングも気になった。かつての東宝ミュージカル映画みたいな雰囲気を出したかったのかもしれないが、着付けや白塗りメイクにかかる時間を考えればこんなことがあり得るはずもなく(まあ、いちサラリーマンが突然スラッガーに変身したり格闘技チャンピオンになったりする中盤の展開も、あり得ないといえばあり得ないのだが^^;)ラストで図らずも伊東四郎が口にする台詞「これで京都はオシマイだ」が、そっくりそのままこの映画に突きつけられた引導のように思えてしまった。・・・
★★

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