パッと見は父・宮崎駿の一連の作品によく似ている。キャラ造形から始まって背景、カット割り、構図、そして演出のテンポまで、まるで父が傍らにいて、いちいち細かく指示して作られたかのような似方だ。
しかし、しばらく観ていくと、その違いが際立ってくる。最大の違いはやはり感情移入のしにくさだろう。とにかく、登場するどのキャラにもあまり共感できない。はっきりと距離を感じる。基本的なキャラの立て方にミスがあったとしか思えない。
たとえば、事実上の主人公アレンは映画の冒頭で、父である国王を刺し殺して逃亡するのだが、その理由もわからなければ、劇中その罪を償う描写もない。原作がそうだというのならまだしも、原作に登場するアレンは父王の命によりゲドを探す旅に出る、という設定で、父殺しは本編のオリジナルなのだ。あえて「現代風の」味付けを提案した、とのことだが、こんなむちゃくちゃな設定を、本編が初監督作品である吾朗氏に押し付けた鈴木Pの責任は極めて重いといわざるを得ない。
また、一見すると似ている演出スタイルも、微細な部分は確かに似ているものの、もっと引いてみると世界観の構築など、基本的な部分の踏襲はまったくなされていないことがわかる。たとえば、冒頭で提起される「世界の均衡」が破れ始めている、という描写や、その象徴らしいドラゴン同士の壮絶な戦いも、結局その後の物語とは何の関連もなく、現実の「温暖化する」世界の現状とシンクロさせたかっただけ、ということなのだろうか。少なくとも後半に登場する「ラスボス^^;」クモと直接の関連もなさそうだし(そのつもりなら、それはそれで酷い原作無視といわざるを得ない)どうもその意図がよくわからなかった。原作を再構築するならするで、もっと確固とした世界観なしには物語そのものが成立しなくなると思うのだが、少なくとも僕には、本編を一貫してつらぬくような、吾朗氏なりの世界観みたいなものを見出すことはできなかった。
それでは原作者ル・グィンの世界観はどうかというと、残念ながらそちらもさほど尊重されているとはいいがたい。映画の後半で、アレンの「影」について語られ、その片割れが父殺しの元凶のごとく匂わされるのだが、あまりに舌足らずの説明で、ル・グィンが創造した「アースシー」の世界観を前もって知らない者には、何のことやら理解不能である。原作においては、最初の一巻「影との戦い」すべてを費やして「影」とはいかなるものかを述べている。それほど「アースシー」世界における「影」の概念は重要であり、短い言葉では説明しにくいものなのだが、肝心のその部分が、本編ではご都合主義的な解釈でわずかに触れられるだけであり、それだけで観客にすべて理解しろ、というのはあまりにも無理があるだろう。
スタッフが超一流であったため、映像そのものは非常に美しく、それだけで何か凄いものを観たような気分になってしまうが、終わりに近づくほど物語は原作を大きく離れ、かつての宮崎映画によく見られたような、スーパーアクションによる大団円まで強引に引っ張っていってしまう。それはそれで「大作映画を観た」気分にはさせてくれるものの、やはりそれはル・グィンの描いた「アースシー」世界の物語ではなかった。・・・
★★★

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