早いもので、あの阪神淡路大震災から、今日で丁度12年が経ちました。
昨日は、阪神淡路大震災を振り返って、特に阪急電車に注目して、
その被害状況と復旧状況をまとめてみましたが、当然のことながら、震災により甚大な被害を受けたのは阪急だけではなく、阪神やJRも同様です。
阪神電車は、126両が被災し、そのうち41両が廃車となりました。貼付の写真に写っている車両は、震災の翌年に、震災により廃車となった車両の代わりとして阪神がデビューさせた9000系車両です。阪神における震災からの復興を象徴する車両といえます(昨年7月、尼崎駅にて撮影しました)。
阪神の路線は、JRや阪急同様、梅田〜西宮は幸いにして被害が少なかったものの、芦屋付近から西は、やはり甚大な被害を受けました。
今日は、あの大震災を振り返って、阪神電車の被害状況と復旧状況を以下に大まかにまとめさせていただきます。
なお、以下に記載した情報の大半は、札幌市内の図書館から借りてきましたDVD『阪神大震災 新たなる出発 ドキュメント阪神電車の430日』(全105分、96年度作品)に基づいています。
1995(平成7)年
【1月17日】
阪神・淡路大震災発生。
【1月18日】
本線の梅田〜甲子園で運転を再開。
同日、西大阪線で運転を再開。
【1月26日】
甲子園〜青木で運転を再開し、震災後初めて大阪市内と神戸市内が鉄道で結ばれる。
同日、武庫川線も運転を再開。
【2月1日】
阪神三宮〜高速神戸(
神戸高速鉄道)で運転を再開。
【2月6日】
神戸高速鉄道の高速神戸〜新開地が復旧し、同区間で阪神電車が運転を再開。
【2月11日】
青木〜御影で運転を再開。
【2月20日】
岩屋〜三宮で運転を再開。
同日、JRも三ノ宮〜灘が復旧し、これにより大坂と三宮を結ぶルートが複数の鉄道(JR、阪急、阪神)で1本につながる。
【3月1日】
西灘〜岩屋で運転を再開。
【3月中旬】
阪神で最も被害の大きかった御影〜西灘間3.1qの復旧工事が本格的にスタート。沿線住民の理解と協力を得て、昼夜を問わず24時間体制で復旧工事を行い、延べ30万人がこの工事に従事。
【4月1日】
JR線の住吉〜灘が復旧し、ついに東西が1つの鉄道で結ばれる。梅田〜三宮間の全線復旧は3社のなかではJRが一番最初で、これにより同区間の利用者はJRに集中することになり、阪急や阪神が全線復旧した後もそのままJR利用に定着した人も多く、結果的にはこのJRの早期復旧が、大阪〜神戸間の乗客の流れをJRへと変えてしまった大きな要因となった。
【6月26日】
御影〜西灘が運転を再開し、震災から約5ヶ月を経て、160日ぶりに阪神本線の全線が開通。
JR線や阪急線の梅田〜三宮は既に全面復旧を果たしていたため、3社のなかでも最も全面復旧が遅れたものの、それでも、阪神本線最後の不通区間であった御影〜西灘の復旧工事は当初の予定よりも大幅に工期を縮小することに成功。これにより、梅田〜三宮の3鉄道が全て復旧。
【8月13日】
神戸高速鉄道の新開地〜高速長田で運転を再開し、これにより阪神梅田〜須磨浦公園(山陽電鉄)が208日ぶりに開通。
1995(平成8)年
【3月1日】
震災により倒壊した石屋川車庫が復旧(再建)。
同日、震災により廃車となった車両の代わりとして開発が進められてきた新形式9000系車両が初入線。
【3月20日】
急行用車両9000系がデビュー。これにより阪神の車両は314両の体制に戻る。

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