関西在住時、私はほぼ毎日京阪の丸太町駅を利用していましたが、この丸太町駅が京阪本線の駅なのか、鴨東線(おうとうせん)の駅なのかは、地元の人でも結構知らない人が多かったようです(というか、鴨東線という名称自体を知らない人が多いようです)。
実際、印刷物によっては、丸太町駅は本線の駅と書かれていたり鴨東線の駅と書かれたりしていました。
では、丸太町駅は一体どちらの路線の駅なのかというと、正確には鴨東線の駅です。鴨東線は、三条駅と出町柳駅間の路線を指すので、その中間駅である丸太町駅は、当然鴨東線の駅ということになります。
京阪本線とは淀屋橋〜三条間の49.3km、鴨東線とは三条〜出町柳間2.3kmの路線のことをいい、両路線は正式な線区分けでは厳然と分けられています。
ただ、一般利用者の大半は、両線を合わせた淀屋橋〜出町柳間51.6kmを「本線」として認識しており、京阪でも、一般の利用者に対しては本線と鴨東線が別路線であることはあえて積極的にはアナウンスしておりません。
実際、駅構内や車内に掲示されている路線図では、本線と鴨東線の路線は同じライン・色で記されておりますし、また、本線を走る列車の大半はそのまま鴨東線の出町柳まで乗り入れており、鴨東線のみを走る列車というものほとんど存在しないため(厳密にいえば始電の1本のみ存在します)、鴨東線はひとつの独立した路線としての印象は実に薄いです。
今回はこの、京阪の大動脈として機能していながら独立した路線としては全く存在感のない鴨東線について、詳しく述べさせていただきます。
京阪本線の京都側の終点は今も昔も三条ですが(ただし明治43年の本線開業当初は五条でした)、平成元年10月、その三条から出町柳まで路線が延伸されました。このとき開業した三条駅〜出町柳駅間2.3kmの路線が鴨東線です。
鴨東線の駅は、三条、丸太町、出町柳の3駅で、路線は全線地下で、複線です。本線との直通運転を前提に造られた路線なので、軌間は当然本線と同じ1435mmの標準軌(新幹線とも同じです)で、架線の電圧も本線と同じ直流1500Vです。
鴨東線起点の三条駅は、島式ホームが2つ設置され4番線まである、京阪の京都におけるターミナル駅ですが、丸太町と出町柳の両駅は、ともに島式ホーム1つのみを持つ、2番線までしかない小規模な駅です。
鴨東線唯一の中間駅である丸太町駅は特急の通過駅なので、特急はすべて通過していきます。このときの特急の通過速度は55kmです。
丸太町駅は、駅の構造上85kmまでの速度で列車の通過が可能なのですが、本線の五条駅がホームのふくらみの関係から55kmでしか通過できないため、丸太町駅でも同一の速度で通過するようにしているのです。
鴨東線終点の出町柳駅は、島式ホーム1本のみという、終点のターミナル駅としては少々寂しい駅です。というよりも、京阪本線の実質的な終点駅としては明らかに能力不足でしょう。
実際、出町柳駅は島式ホーム1本のみのため多数の電車が発着する時間帯は電車がホームに入りきれなくなる事態も発生しており、その際は駅構内の三条寄りに設置されている留置線にいったん電車を留置しているようです。
なお、鴨東線の出町柳駅は地下駅ですが、地下通路で、地上にある叡山電鉄の出町柳駅と連絡しており、鞍馬や八瀬方面に行くときはこの地下通路を歩いて、叡電の電車に乗り換えます。
鴨東線の着工当初は、鴨東線と叡電を直通運転する計画があり、鴨東線の出町柳駅のホームの端が曲がっているのは、この直通運転に備えていたためのようです。
ちなみに、今回貼付の写真は出町柳駅のホームで撮った写真です。
鴨東線は、もともとは京都電燈(叡山電鉄の前身である京福電鉄の、さらに前身)の免許線で、大正時代から計画されていた路線でしたが、経済的な事情などからなかなか着工されず、昭和47年になってようやく、京阪が主体となって設立した鴨川電気鉄道が着工し、そして平成元年、京阪が鴨川電気鉄道を合併し、同年10月に京阪の路線として開業しました。
そういった歴史的な経緯から、京阪では、本線と鴨東線は実質的には一つの路線として機能しているにも関わらず、あえて本線と鴨東線は別路線として区分しているのですが、しかし京阪が頑なに別路線とするのは、同一路線ではないとすることで普通運賃に60円を追加するため、ともいわれています。

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