焼酎BAR 晃

OPEN19:00〜25:00 三重県四日市市西新地8-1 ダイヤモンドビル2F
3月の休業日予定 5日・12日・19日・26日    知恵がある奴は知恵を出そう  力がある奴は力をだそう   金がある奴は金を出そう   『自分は何にも出せないよ・・』っていう奴は 元気出せ
短期研修です♪2  あちらこちら〜

 9月1日5時半には起床!体調も問題なし〜短期研修始まりました♪

 鹿児島中央駅前から知覧行きの始発バスに乗りました〜6時47分!

 今日の午後1時から加世田の酒屋さんにアポ取っていたので午前中に

 以前から行ってみたかった「知覧特攻平和会館」に向かう事に

 1日から学校も始まりましたので高校生で一杯ですね〜約1時間半乗車♪

 最初は市街を走っていましたが段々山の中へ。途中からは海も見えてきます

 で、特攻観音前で下車。料金千円也〜まだ9時の開館まで時間が有るので

 敷地内のベンチで朝飯です(^^♪ さすが鹿児島ミネラルウォータも志布志

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 敷地内には先日映画撮影で使われた攻撃機が展示されてました

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 現代の戦闘機から比べたら小さな機体ですが当時では機能性抜群な機種です

 ただ機材・原料不足のため装甲が薄く強度の点ではかなり難の有るモノだった

 そんな所にも悲哀の影が日本の戦闘機には有りますね・・・(ーー;)

 もし十分な原料・機材が有ればおそらく太平洋一の戦闘機軍団が組めたろうな〜

 技術・性能もアメリカやイギリスのサンダーボルト&ムスタングに引けを

 取らなかったんですがその軽さと装甲の薄さが命取りでした。無念(-"-)

 9時開館。その目に入るものは歴史の証拠品ばかりでした。やはり目を引くのは

 特攻隊員らの手紙・遺書でした これを書いたのが17歳から26歳までの若人

 綺麗で達筆なその文字で書かれた内容は肉親への最後の言葉。感謝の言葉。

 母親へ 父親へ 兄弟や幼い妹へ 一つも恨みや不満の言葉がありません

 彼らは全国から志願し選ばれた所謂エリート集団だったんです。

 頭脳明晰で強靭な精神・肉体を持つ彼等が何故死ななければならなかったのか

 ソレが戦争だったから仕方ないのでしょうか?死ぬなら年上の者が先には?

 彼らの上官が特攻機に乗った話は聞きません。特攻で飛んで行った者は

 26歳が最年長です・・・守るべきものを守る そのために自分が飛ぶ。

 当然のように彼らは飛び立ったのでしょうね。守るものは祖国であり

 愛する肉親・妻子 尊敬する師 そして天皇陛下・・・

 特攻は強制ではなく本人の志願によるという建前が貫かれていたそうです

 あくまで兵士たちの「自主的自発的な提案」が基礎であるとされていますが

 これは上層部が責任逃れを計ったのではないかとの意見が戦後研究者から

 の意見として出されているそうです。昔も今も上の考える事は・・・(-"-)
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2008/9/5  12:11

投稿者:晃

>saladmanさん〜〜(〃⌒ー⌒)/どもっ♪

生まれて来るタイミングがずれてたらと思うと
複雑ですよね・・・(ーー;)

2008/9/4  15:02

投稿者:saladman

心に感じる場所ですね
まだ幸せだと自分の現状を思えました

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