このteacupブログの立ち上げは 健全な自死を勧めて自ら実践した哲学者須原秀一さんに刺激された2008年になります

自死という生き方 覚悟して逝った哲学者 須原一秀双葉社
あれ以来マイク自らの死を思索し 人生の一大イベントを自ら演出出演すべきだと模索してきました
考えるのは楽しくもあり 有意義だと嵌ってしまいましたが その実践の難しさを痛感するばかりで 須原さんの実践力には敬服するばかりで終わってしまうのかと情けなくも思っています
しかし死はマイク自身の問題でなく 社会の問題として考えなければならないと知ってから 死を目の前にして何も考えないで延命を望んだり 福祉経済の圧迫などの社会問題を考えると 安楽死センターしかないと考え至りました
それでも時間が経つばかりで マイクが社会に何ができるのか これも思うと情けなくなるばかり
しかしよく考えると 須原さんの自死実践と この立派な著作でも 果たして後追いする人達がどれだけあったのか
ご遺族や巻頭解説した浅羽通明さんに確かめるしかないのかと思ったりすることしかできませんが そう簡単に社会や個人は変わらないのだと 自分を慰めるしかありません

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