良寛は 生涯の終わりにあたって 30年の孤独な五合庵暮らしを断念し 木村家の離れへ止宿した
2年ばかりして新潟三条の大地震に遭い この時 親しい付き合いの山田杜皐(とこう)宛ての消息に 「うちつけにしなば(だしぬけに死んだら 却って良かったろうに) しなずて ながらへて かかるうきめを見るが は(わ)びしさ」と詠い 続いて「しかし災難に逢(ふ)時節には災難に逢(ふ)がよく候 死ぬ時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ 良寛」とある
「死の定めの時が迫ってくれば 潔く死ぬがよい」と親しい仲間だからこそ漏らす
このような死生観だからこそ 子供と遊び 漢詩や歌よみ 托鉢座禅 酒も煙草も ことごとく遊戯(ゆげ)三昧の行いだった
徒に未練がましく生きることよりも 古人は死を悟り自らを決めている
しかし今人には難しいと思います
生きながらえ苦しむことより 目の前にもっと「楽しい死」のあることを示してもらえなければ自分の道を選べません
しかし知ったからには普通の人なら その道を選ぶのが老人の責務だと言う位は 理解し悟ることが出来るでしょう

良寛にはなれませんが

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