死を考えると 殆んど老人の
死の問題であった
老人の死について考えると それは殆んど
老人問題であった
中でも老人問題を
老人の社会死と考えると
老人の社会問題であることに気づく
個人的な死を個人的に
死に行く前に 社会的に考えることは
観念的で無意味なのであろうか
老人の
社会的な問題として考えるときは 老人だけでなく
弱者一般についても同じ考えをしなければならないし 老人の社会問題を考えるためにも大いに発展させてくれそうなので少しは考えてみたい
その前にここで 一般論としての老人問題のサイト
曹洞宗
http://www.sotozen-net.or.jp/gendai/seimei/seimei200504.htm
があるので 転載禁止なので キーワードのみの拾い込みとして 下記に記す
豊かで医療が行き届いている社会での問題
農村型社会から都市型へ 生活様式 家族形態 同居で面倒を看る子のつとめ から 核家族へ
今も儒教的道徳で男性優位で女性の役割 介護力の弱体 都市過疎ともひとり暮らし 寝たきりが増える
老人病院の姥捨て山化 ’70−’90 老人医療の無料化 老人性精神障害者 営利目的化 (悲惨な公害?)
社会的問題としての捉え方欠如に原因
40代女性の25%は老人介護 ’30年には専業主婦の50% 家庭内解決は無理
老人自殺 3世代同居が高く 一人暮らしは低い 居場所失う孤独感
多くの老人とともに生活する社会のあり方 確立されていない 「老いは家族が看るのが当然」の文化
高齢者の心身の健康や生活の安定 社会の仕組みや制度 高齢者福祉の課題 定年の雇用創出 生活保護 住宅確保 介護 年金や医療保険 若い世代が支える仕組み 世代間合意形成 老人に対する差別意識
行政的援助の問題でなく 「老いとは何か」「人間が生きるとはどういうことか」根本的な考えの構築と社会的合意
人間を生産能力優先で評価 弱者を切り捨てる社会の価値観
老人が将来に生きる価値がない社会
老いを排除する社会 共存する社会
近代社会の価値観
*** 私たちは何故
老人を嫌い 老人を排除するようになったかは 近代社会の
価値観と深く結び付いている とあった
文化的社会的背景を
社会学者が明らかにし 氏のような
倫理哲学者が観念論を闘わし 改善策を成り行きで出すのではなく
行動で戦い確立して行くべきもののように思う
*** 氏はその面倒を
避けて安易に走ったとしか思えない
面倒と言うより
不可能なのかもしれないが
闘える人が戦わない社会は
人間の価値観を極める努力の少ない社会となって
社会的に不幸である
哲学者の大切さと同時に その
努力が大切なことは 現にある 世界にある
社会的格差を見ればわかる

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