4章ではいよいよ 死の能動的積極的受容のための一般条件を問題にすると前章末で意気込んでいた
4章 死の能動的受容と受動的受容
五段階説
受動的五段階説
死の先取り
数千の実証事例
能動的積極的受容の五段階説
観念的知識と体感的知識
「観念的な死の受容」と「体感としての死の受容」
「死」を語る資格のある人
非当事者、結果論者、一見豪快で爽やかな暴論、一見謙虚な奇麗事
奇麗事と地獄
脅迫と倫理
「二人称の死」と「三人称の死」
私にとっての「二人称の死」
母親からの遺産
もう一つの二人称の死
私にとっての「死」の体感
*** 一般的な死の受容を説くロスの報告と ハイデッカーの
死の先取りを例に
消極受動と積極能動の死があることを説く・・なるほど
*** 後者は単なる先取りでなく
武士道で実証のあるあっさりいつでも腹切りできる心のありさまを言い その
心の枠組みを本書で現代化すると
*** ロスの受容五段階説に張り合って
須原式五段階を
高の認知・死の体感知・主体性・キッカケ・行動 になると説く
*** その認知と知は 観念的でなく
体感としての受容であり インテリにはなれないと説く
地獄のことは考えなければないのだ 梅原猛は性悪説の老婆心でタチが悪いとまで説く
*** 母の死では ロスの死を全うして自ら完全に受容して死んだことを見て 氏に
お前もできると教えてくれたと
義父の死には
三人称の無責任を感じて ともに他人の死の人称的意味を体感したと
5章 自然死と事故死と人工死
自然死は悲惨__専門家の見解
「自然死」と「事故死」と「災害死」
「事故死」と「災害死」
私の体質
虚無主義と厭世主義
「老境」を否定するのは虚無主義と言えるか?
受動的自然死派の人々
自然死のみを肯定し、それ以外を否定する人へ
受動的自然死派
死に関して意見を持ちうる人へ
パリサイ的偽善
未来の人の死生観
*** ヌーランドの死の分析通り 自然死も事故死と変わらず
悲惨で同質と言い切る
事故死が嫌なら自然死も避けるべきで そうでないのは
実態を知らないだけだと言う
マイクは氏が
未練を能天気にも無視してしまっていることをここにも見てしまう
*** 能天気そうな氏でも閉所恐怖症的で また尿管結石で死にたいくらいの体感経験があり 自殺の気力もないまま
世話になるようなことはご免蒙りたいと言う
*** 人生は肯定すべきところと否定すべき部分があって
全体を肯定するのは無理があって宗教や虚無主義になる
老境を否定するのは虚無主義でなく 普通の人の反虚無主義そのものだと・・・?
*** 受動的自然死は 善人往生神話であり 宝籤を買って人生逆転狙うのが間違っているように
老衰死も間違いだと
*** 西洋的偽善である積極的自然死派を敬服するとしても 他人に主張するのは越権行為で
自死者を弱者として哀れむべきと・・憐れむだけでは差別するだけの 他人と比較して極みを納得するだけの未練断ち切りではないか
*** 未来は
人工死に確実に向かっており 自死願望は病的ではなく 人間は進化もしある部分は退化し 工夫と順応で 人間には
可塑性があると
以上が自死自決の道筋で これこそ
自然な人生だと満足されているのでしょうか
ハッピーな生を老境まで通した
ラッキーな人生を 最後まで全体をハッピーで終えたいと考える人生に羨望はするが それだけがハッピーな人生ではない筈です
このままでは
いつ自決すべきかを議論尽くしていません
人生の浮沈こそ人生の味わいがあり そのようなことにはあまり触れていないようです
最後の自決にしても 未練を残して死ぬのは勿体ない筈だし
未練の可能性を考えないで済まそうとするだけのようです
生の可能性のない時の尊厳死や
安楽死のことも無視しているように読み取れるのは
弱者軽視のように思われますし ご自分自身が弱者になることに耐えられないことを示しているように取れます
もっともっと議論する
ご友人に恵まれていた筈ですし 本当に勿体ないと思います

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