「旬 菜 里」は、旬に採れた季節の野菜をお届けするのと同時に、旬の野菜を使った料理や、旬の野菜を栽培してくれている農家の皆さんを取材しながら、皆さんと供に、旬な野菜について語り合うコミュニティを目指します。
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2012/8/14

母の思い  
母は5年前から足腰が自由がきかなくなり、寝たり起きたりの生活を送ってました。

きっかけは極度の便秘。
腸に便が固まり、母は苦痛に耐えていました。
その時寝たままになったことで筋力が落ちてしまったんですよね。

幸いにもインターネットで薬を処方してくださる漢方薬局を見つけ、その薬を飲むことで母はよくなってきました。
痔もひどくなっていたのですがよくなったようです。
利用したのは福岡にある太陽堂さんです。
直筆で診断してくれるます。離れていても気功でわかるそうです。

それでも一度筋力が落ちた母は日に日に衰えて行きました。
先月終わりには支えても立てない状態になっていました。

3年前介護認定を受けて要介護3に。
去年は4になってしまいました。

母は介護の認定を受けることさえ拒んでいましたが、私のためだと受けてもらっていました。
昨年には介護施設の利用も考え、近所にある小規模多機能の施設にご厄介になっていたのですが、2回行っただけで行きたくないといいだし、訪問介護に切り替えました。
それも嫌がっていましたが、母の体調管理のため毎週水曜日に来ていただいていました。
それに父が17年前心筋梗塞で倒れたこともあり、父のことも心配だったからです。

最近ではお風呂も、さらにオムツ替えさえも嫌がるほどに。
それも今年の冬、父が体調の不良を訴えたのがきっかけだと思います。
7月に入り週末は私がお風呂に入れるようにしました。
シャワーキャリーを購入して、主人に脱衣場の段差を無くす修理をしてもらったりしていました。
シャワーキャリーも結局は1回しか使えませんでした。

お風呂に入れるときは「嫌だ」と言ってたけど、帰りには「ありがとう」と言ってくれた母。

もっと介護施設をうまく使ってくれたらいいのにと思っていたのですが、日頃から他人の世話になるのが嫌いな母には無理なことでした。

でも契約していたおかげで父や母の発見の手助けをしていただくことができて助かりました。

母みたいに拒む老人も多いと思います。
その辺りうまく支援してくれる仕組みがあればな〜と思いました。

中には拒でいた老人がヘルパーさんにお世話してもらったら受け入れた老人もいるます。
相性があったんですよね。
こればかりはやってみないとわからないものです。

話はかわりますが

母は神奈川県の寒川町にある福泉寺の四女として生まれました。
母は祖父をとても尊敬していました。
いずれ自分たちは福泉時のお墓に入るんだとお墓を購入していましたが、私や妹が結婚した後、母は営んでいた寿司屋「鮨正」を閉じ、寒川の地を離れ、お墓を返してしまいました。

そして実家とも連絡を途絶えさせ、わたしたちにも「行くな」と言ってました。

そんな母だったけど、やはり実家への思い、いや祖父への思いを断ち切れずにいたのか、祖父が書いた名言と写真がタンスの中から見つかりました。

「いつまであると思うな親と金」
「実るほどに頭を垂れる稲穂かな」

実家にかかっていた色紙でした
私はそれを今両親が住んでいたマンションに飾りました。

母の本心はどこにあったのかはわかりません。

先日父や母の導師を勤めていただいた僧侶さまに「いずれわかる日が来ますよ」と言われました。
多分、私たちが老いたときに母の気持ちもわかるんでしょうね。
「子を持って知る親の恩」ていいますものね。

明日は父の二七日。明後日が母の二七日になります。

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2012/8/20  7:49

投稿者:づみ
>エミさん
お手紙、ありがとうございました。

私にとっても母は憧れの人です。
そして尊敬する人です。
父は優し過ぎました。

父や母のこと、今度語りたいです。
聞きたいです。

2012/8/18  12:37

投稿者:エミ
暖かな素敵なご家族ですね。
曹洞宗のお寺さんのお嬢さんだったのですね。お母様の生き様を思いだしてみると分かる様な気がします。
私には憧れのかっこいい女性でした。お父様は静かな優しい目、想い出が浮かびます。
お二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2012/8/15  10:58

投稿者:づみ
>Rooさん
ありがとうございます。

訪問介護をうまく利用できているようで良かったです。
老夫婦介護には限界ありますものね。

2012/8/15  10:55

投稿者:づみ
>KYOさん
KYOさんのコメントを読んで、母も「屈辱」と言う気持ちだったのかな〜と思いました。
そう言う意味では最後まで父に介護された母は幸せだったのかな。
父は大変だったかもしれないけど、父は父で母を介護できたことは自分を必要とする母がいるってことは誇りだったかもしれません。

相手のプライドを傷つけることが最小限に留めることができる介護施設の利用ができたらな〜と思いました。
そう言う意味では臨機応変に対応いただけたように思います。

2012/8/14  21:23

投稿者:Roo
今日、久々に訪問させて頂いて初めて知りました。
心からお悔やみ申し上げます。

うちの義父も2度、脳梗塞で倒れ、体に少し麻痺と話す事が少し大変で、二度目の退院後、デイケアセンターに通ったんですが、行きたくないと。
最初はヘルパーさんも拒んでいたらしいんですが、義母が体調を崩してからはヘルパーさんに週何日か来て頂いているようです。

まだまだ残暑厳しいので、づみさんも無理なさらないで下さいね。

2012/8/14  20:38

投稿者:KYO
明治生まれの祖母が介護を受けるのを嫌がり、母が手を焼いていたことを思い出しました。
人の世話をするのは大好きでしたが、人様に「迷惑」を欠けて世話になることは大嫌いでした。
どんなに弱っていても、外からお見舞いの方が来るとしゃんと背中を伸ばしていました。
そこがまた、かっこいいところでもあったのですが…

寝たきりになりつつあった祖母よりも先に父が倒れて母がそちらに付きっ切りになったので、祖母は結局外からの介護を受け入れざるを得なくなりましたが、かなり屈辱的な思いをしていたような気がします。

…という祖母に手を焼いていた母ですが、母自もまた祖母に輪をかけて「世話をするのは大好き、でも人様の世話になるのは大嫌い」です。
動けなくなったら誰かの手を借りることは恥ずかしいことではない、というのは母の口癖ですが、自分のこととなるとそうでもないみたいなんですよね…。

動けなくなっても大丈夫なんだ、と、みんなが(ご年配の方だけでなく誰しもが)安心できるような世の中になるといいですね。

http://brisbane.gday.jp/

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