鞆軽便鉄道(212)
関西工業(広島県福山市鞆町)の手前に三角余剰地のようなところがある。県道がラッパ状に広がっているのでそう見える。県道がラッパ状になっているのは、N森さん宅の北側の路地から出てくる人と出会いがしらの事故を防ぐためと思われる。今はグリーンライン口の広い道路があるのでここを利用する人はいないが、当時は大切な道だった。
三角余剰地

N森さんの話「お父さん(ご主人のこと)は向かいの家で生まれ育って、(ずっとここに住んでいます。)家のすぐ外を鉄道が通っていたそうです。県道との間に鞆鉄の土地があって、うちが買ったのです。」
鉄道は民家(N森さん宅)とぎりぎりのところを通っていた。関西工業の前は歩道がない。。関西工業は鞆鉄道の機関庫などがあった場所で、鉄道廃止後はバスの車庫として引き続き使用されているので、敷地の奥行き(東西幅)は変わっていない。鞆鉄道駅の敷地は、北は関西工業のところから南は山田さん宅の庭の一部まであった。背後は段差があって石垣まで。石垣の際まで鉄道が敷かれ、列車の入れ替えや方向転換、整備、給水その他必要なすべてのことがここで行われた。事務室や社長室など会社の中枢施設もここにあった。

para1002n(ぱら仙人)


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