鞆軽便鉄道(185)
電信柱は電力会社の送電線のことだとばかり思っていた。鞆軽便鉄道は電車ではなかったのに、線路脇に電信柱が立っていた箇所が残っていたり、写真に写っていたりする。トランスなどが置いてあって、明らかに送電線、配電線と共用の場合もあるが、鉄橋の脇に斜めに突き出すように立てられているものもある。これらは文字通り電信電話の通信線の柱だった。電話だったかどうかは分からないが、次の駅に合図を送るだけなら、電話でなくても電信の信号だけでもことは足りる。設備費も安く済む。

鉄道はS々木さん宅の裏の温水器の下を通っていた。今は新しく家が建っていて県道側からは塞がっているように見える。昔の農機具庫が奥のO方さん宅の出入り口になっていて、もちろん私有地だが、ブロック塀が斜めに広がるように築いてある。塀と建物の間が線路跡になって、隣のS藤さん宅の裏と一直線に繋がっている。
S藤さん宅のブロック塀に残っている電信柱の一部



さらに県道側から南に52mほど前進すると、九所谷川に沿って路地がある。この川は田尻漁港に山水が流れ出る水路で昔からあった。当然短いながらも鉄橋が渡されていた。その痕跡も見つかった。石垣の台座が残っている。
S藤さんの話「この塀の内側が鉄道です。あそこに電信柱が残っています。あれが鉄道の端です。」
電信柱跡や鉄橋跡は、ただ単にもの珍しさだけではない。ピンポイントで鉄道跡を正確に地図上に書き込める目印でもある。前後に鉄道跡をうかがわせる道路や畑の境目がある。それらを繋いで微妙に調整、修正する貴重な拠り所になる。
現場百辺という言葉がある。毎日(最近はちょっと一日おきペース)同じ所に通っていると、近所の人と顔馴染みになる。「又來たんなぁ。熱中症にならんように用心しよ」と声を掛けられたりする。「あんたじゃなぁ。O平さんと、この前そこで話をしょうたろう。」近所の人がいろんな所から見ておられる。私は声が大きいので、そういう意味でも目立つらしい。
「ここを通りなしゃあ。なんも植えとらんけぇ、世話あにゃあ。(大丈夫)」と言って親切に案内してくださる。思い出話もさることながら、案内がなければ気づかなかったような遺構がまだ残っていたりする。皆さんの親切にじわっと涙が出る。

para1002n(ぱら仙人)


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