それは2004年の春のことでした。
と学会の会長である山本弘先生が、「神は沈黙せず」という小説を出版しその中で南京論争を取り上げました。私はその小説で取り上げられた南京論争について分析したサイトを立ち上げました。山本先生はご自身の運営する掲示板で反撃を開始。短い期間でしたが、南京大虐殺論争が繰り広げられたわけです。
それから二年半あまり……
山本先生が南京論争に戻ってきました。
※山本先生のサイト
「目からウロコの南京大虐殺論争」
「勝つ」という言葉が「相手が負けを認める」という意味なら、トンデモさんとの議論に勝つことは絶対不可能である。
だから僕はみなさんにこう忠告する。「トンデモさんと議論はするな」。相手が負けを認めない「無敵くん」と分かった時点で、さっさと撤退すべきである。
ちなみに小説中でも真田は最後まで負けを認めず、一方的に捨て台詞を残して撤退する。加古沢は厳密には勝ってはいないのである。
では、なぜこんなページを作ったのか?
『神は沈黙せず』を発表した直後、案の定、僕に議論をふっかけてきた人がいた。僕は上記の理由で拒否した。すると、あたかも僕が書いたことが間違いであるかのように吹聴されはじめた。
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ここで言われている「議論を吹っかけた人」というのは私(グース)のことだろうと思います。興味がある方はこの辺りから読んでいただければ大体の経緯はおわりいただけるでしょう。
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page031.html
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page043.html
以上の結果、オーディエンスが「山本不利の判定」をしたとしてもそれは自業自得というものではないでしょうか。山本先生だけが「俺は負けていない!」と力説しても、あまり意味がないような気がします。
■トンデモさんと議論せよ
山本先生は、「トンデモさんとは議論をするな」と言っています。
私の意見は全く逆になります。相手がトンデモなら積極的に議論したほうが得策だと思います。なぜならば「トンデモな主張を論破するのは容易い」からです。
歴史の議論においては相手を屈服させる必要はありません。議論を眺めている「観客(オーディエンス)」の支持を得れば良いのです。このように考えれば、議論の相手がトンデモであればあるほど自説に有利に働くことがわかるでしょう。
■史料の提示と、史料の解釈
>誓って言うが、『神は沈黙せず』で引用した資料はすべて本物である。
(by 山本先生)
史料が手元にあれば引用するのは簡単です。
その史料にどのような価値があるのか。他の史料と付き合わせて、どのような分析がされているのか。どういう風に「史料解釈」がなされているのかを知らなければ、歴史を講釈するのは無理でしょう。
山本先生の場合は提示した「史料は本物」でしたが、「史料解釈」に大きな問題がありました。
どういう「史料解釈」がされているのかについては研究書を読む必要があります。
先行研究を知ることで「近道」ができるというのは歴史学の常識ですから、南京大虐殺に関しては、虐殺派、中間派、まぼろし派、それぞれの研究を読んでから、図書館などで実際の史料にあたるというのが正しい手順になります。
大きな時事ネタもないようなので、しばらくは南京論争を中心に更新したいと思います。
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